耳の問題
★★★★☆
著者は難聴の人。まったく耳が聞こえないわけではなく、一部の音が聞き取れないという状態らしい。
日本で大学卒業後、ひょんなことからアメリカの聴覚障害者が集まる大学のことを知り、留学することになったという。そこでの学生生活を描いたのが本書である。
アメリカは確かに聴覚障害者へのケアが進んでいる。しかし、差別がないわけではないし、至らない点も多い。本書は、その両面をきちんと理解し、提示して見せてくれる点が優れている。具体的なエピソードを次から次へと示してくれるのだが、著者の感情が直接に伝わってくるので、読んでいる方もいっしょに悩んだり怒ったり感動したりできる。
ややきつい性格の人のようだが。
難聴がハンディキャップからアイデンティティになるまでの道のり
★★★★★
本書とは「手話」という切り口で知り合いました。
色々な要素が詰まった本で、一気にひきこまれて読み終わってしまいましたが、著者の「難聴であることも含めて自分は自分である」という強い決意がこめられた本でした。
「聴覚障害である」ということをアイデンティティの一部として強く打ち出す背景には、出版当時(1993年)には今よりも「聴覚障害を抱えていること」に対する世間の偏見が厳しかっただろうと推測します(90年代後半に聴覚障害を扱ったドラマにより、受け止め方も変化したと思います)。
本書の中心は、1983年から85年までのカリフォルニア州立大学ノースブリッジ校での大学院留学生活です。
学部時代、留学に憧れながらも留学しなかった私としては、1980年代前半の米国の裕福な大学の学生生活が詳細に書かれていることで、著者の留学経験を追体験しているようで面白かったです。
本書では、「聴覚障害者の留学」という生活の中の様々な側面が幅広く触れられています。具体的には、米国一聴覚障害者への情報保証サービスが確立された大学生活の中で知り合う多様な民族・人種・移民、それらに対する偏見と誤解、聴覚障害との向き合い方、健聴者とのコミュニケーションのとり方などなど。
そんな中で一番印象深かったのが、健聴者の学生(おそらくスタッフや教授たちも含む?)が、指文字やアメリカ手話を利用して、ごく当たり前に聴覚障害のある学生とコミュニケーションを図ることです。
聴覚障害のある学生は、健聴者の学生や家族とは読唇・口話を用いることが一般的なようですが、だからと言って、「障害のある人が無い人のやり方にあわせるべき」という考え方を主流として健聴者側が何も働きかけないのではなく、聴覚障害者の言葉に近寄る、それも自然に。そんな社会だったら、聴覚障害が「障害」ではなくなるのに、と思います。
特にフットボール部に聴覚障害の男子学生が1名いて、チームメンバー全員簡単な手話で彼とやり取りするというエピソードには、フットボール自体とてもマッチョなイメージがあるので驚きました。
本書を通して、著者がものすごく頭が切れる方であると良く分かります。
・英語が苦手でも大学院に入学して必要なリソースへアクセスして生活を切り開いていくこと
・日本で受けた教育で獲得した読唇と口話能力が高いため、難聴だと気づかれないでコミュニケーションできること(特に文脈推測能力が高い!)
・適応性が高いこと
など、すごいことをやりながらさらっと記述されています。
2006年にお亡くなりになったとのこと、著者の冥福をお祈りいたします。
高村さん美人ですねぇ。
★★★★★
高村さんを好きになった、きっかけの本です。
こういう経験、自分もしてみたいです。
著者の高村様は、知識もあり、学ぶことが好きな
女性でしょう。
私も色々と学びました。
ありがとう。