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★★★☆☆
国のシステムの管理は一部のエリートにまかせればいいんだよ。、みんながみんな勉強を一生懸命してエリートを目指すような状態は社会システム理論からいけば有害で、きわめて不健全です。それからゆとり教育受けるか、ハードな教育うけるかは子供自身が自己決定できるようにしたほうがいい。ゆとりで満足できない奴はハードなほうにいいくんだし、ハードで疲れたらまったり的勉強に切り替えればいい。子供にも意思ってものがあって、親が尻叩いて勉強させても素直に勉強する子供ばかりじゃないだろ。それに競争が苛烈化すれば落ちこぼれる奴が必ずでてくるわけで前時代を反復するんだよ。そういう連中が黙って勝者をリスペクトすりゃー問題ない。ただ、日本人の民度、メンタリティーからいけば其れは難しいわけだよ。だから必ず反発や反動が起こる。これからどういうのが起こるのかは残念だが予期できない。それにみんながみんながエリートになりたかったりするわけじゃないんだよ。肉体労働者になりたい奴だっているの。学校なんて通り過ぎるべきただの通過点であってさ。馬鹿な親ほど、国や学校に期待するのね〜。教育なんて今やお笑い、昔のほどの権威も勢いもない。教師が馬鹿だってことがばれちゃったんだからしょうがない。
「資本主義」的教育こそ,国を滅ぼす!
★★☆☆☆
著者の小堀桂一郎氏は「ゆとり教育」としてなされて来た教育指導要領を「社会主義」的教育と断罪している。しかし,果たしてそうであろうか。日本社会がかつて繁栄して来たのは,すべての子供に平等に教育の機会が開かれ,高等教育にかかる費用が抑えられて来たからである。私個人の経験から言っても,現役で入った某国立大の学費は年間72000円だったが,仮面浪人して入り直した某国立大の学費は2倍の年間14万円に値上がりしていた。当然,経済的に貧窮した家庭の受験生は国立大さえも入れないことになる。そして6年後,博士課程に入り直す際に某国立大から提示された学費は,とても親がかりなしでは払い切れる額ではなくなっていた。私は泣く泣く,入学年次を休学して,予備校教員をしながら荒稼ぎをせざるを得なかった。これこそが「資本主義」的教育の本性なのである。我々は「社会主義」的教育を取り戻し,人民に高等教育を奪い返さなくてはならないのだ!!
専門家の自浄能力
★★☆☆☆
教育評論本のひとつ。一般向けというよりも、現場の教諭や教育学に関心のある学生向きに書かれているようで少し難解である。教育論争の問題は、生徒側の意見を一切取り入れていない点である。本書でも生徒よりも、「上」をみて、制度改革を訴えているように感じられる。
論者の年齢が高く現場から離れているようなので意見が観念的である。専門家が何を考えているのか良くわかるが、話しが難しい。この難しさは、専門家に任せすぎた結果であり、市民の手で教育を変える時期に来ているのではないかと考えさせられる。
自分の子供だったらもっと教えて欲しいです
★★★★★
多くのマスコミで「勉強で個性をつぶすな」「学力偏重が子供をだめにする」など勉強すること=諸悪の根源 のように扱われてかなり長い年月にわたり「ゆとり教育」が叫ばれ、まるでその集大成かと思わんばかりに今回の「学習内容3割減」の実施です。メンデルの法則は教えない、円周率は約3、中学国語から漱石や森鴎外が消える、中学必修語100語に・・・あげればきりがないくらいの「ゆとり」の推進です。でも本当にこれでよいのでしょうか。いわゆる先進国の中で日本は塾なども含めた総勉強時間が一番少ないということです。「勉強、勉強で歪む日本」がどこから引き出せるのか、またそれを元にした「ゆとり教育の押し進め」が正しいものなのか、おそらく「もの言わぬ多数」の日本人でもこう考えていた人は少なくないはずです。この本を読んでますます心配になってきました。一方ではこれらを「無視」して学力向上に努める学校が多数存在するであろうことも現実です。いくら「最低限度を示したまで」とは言っても、そこまでやればよし、という流れで「越えて教える」公立学校がどれほどあるでしょう。勉強を即競争に結びつけ「競争=人を蹴落とす=悪」の構図もよく言われてきましたが、現実にはありとあらゆる場面で大なり小なり競争というものが存在することも事実ですし、「一生懸命勉強すること」と「人をけ落として、思いやりがなくなる」ことを直結させること自体大きな無理があると思います。ゆとりを押し進める方たちはご自分のお子さんにも同じことを勧めるのでしょうか。私は自分に子供がいたらもっと勉強させてもらいたい、この本を読んでそんな気持ちをより強くしました。