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藤沢周平 ―負を生きる物語 (集英社新書)

価格: ¥714
カテゴリ: 新書
ブランド: 集英社
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:高橋敏夫/著 出版社名:集英社 シリーズ名:集英社新書 0125 発行年月:2002年01月 関連キーワード:フジサワ シユウヘイ フ オ イキル モノガタリ シユウエイシヤ シンシヨ 125 ふじさわ しゆうへい ふ お いきる ものがたり しゆうえいしや しんしよ 125、 シユウエイシヤ シユウエイシヤ 3041 しゆうえいしや しゆうえいしや 3041、 シユウエイシヤ シユウエイシヤ 3041 しゆうえいしや しゆうえいしや 3041 戦争嫌い、熱狂嫌い、流行嫌い──稀有の小説職人・藤沢周平の人と作品ガイドブック。武家もの、市井もの、浪人もの、捕物もの、それぞれの作品群を丁寧に読み解き、魅力の源泉に迫る。第15回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞(評論・伝記部門)受賞作。 藤沢周平、その魅力の源泉-荒涼としたなつかしさ負を生きる物語、その魅力の源泉-誰か一人は悲しまなければならない第1部 負を生きる物語のほうへ-
共感から ★★★★★
負を生きる、というのはどういうことだろう。生きる、という述語の目的語に、負とは。考えても考えてもわからない。わからないけれども、どこかにそんな生があると想像すれば、それはとても暗鬱なものだと思わざるを得ない。だって負を生きるだなんて、、。高橋敏夫さんは、藤沢周平の小説に負を生きる人物が描かれているというのだろう。しかしそれを読んで「これでしばらく生きていける」と思ってしまうのは、おかしい。よしそれを感じるとしたら、生きることに付き纏う暗鬱さを本当に実感している人かも知れない。どんなに快活に悠々と暮らそうとしても、いつでもそれを脅かす暗鬱さが何処かにたしかに存在して、自分がどこからそれに侵されるのかと逡巡していると、なんのことはない。暗鬱さは疾に自分の生の中に入り込んでいて、段々段々と自分は暗くなっていく。そんな人はもう、負を生きている、のかも知れない。そして、失礼にあたるかもしれないが、高橋さん自身は負を生きている人なのではないだろうか。「これでしばらく生きていける」というのは、生が暗鬱さに脅かされて、生があるかなきかのものだということを、真剣に感じている人の言葉だと思うからだ。だとするとこれは感想ではない。生きにくい、生きにくいと感じ、自分は生きていけるのかという疑問を日々問いつつ、なんとか生きてきた人が「荒涼とした懐かしさ」に出会った時に、「ああ生きていて良かった。これならもう少し生きていけるのじゃないか」と思う、感情の漏れである。高橋さんの著作に私が魅力を感じてやまないのも、このように考えるからであるが、これは私の思い過ごしだろうか。わからない。高橋さんの言うように、共感など容易には有り得ないのだろう。それでも私は高橋さんの本が好きなのだ。読むといつも「ああ良かった、、」と思ってしまうのだ。
「市井」の男より ★★★★☆
小説を読み終えたような読後感です。さしずめ高橋流藤沢周平アンソロジーか。高橋氏に導かれて、いままで読んだ短編の一つ一つを思いだす充実したひとときでした。

高橋氏の評論部分は、ほとんど納得いくものでそれなりに収穫はありました。しかし一点だけ違和感。しかもこの評論の核心部分で覚えてしまいした。「これでしばらく生きていける」少なくとも私はそうは思わないのです。藤沢周平の小説をよんでこのような感慨を抱く人達に共感は覚えるけれども、同意は出来ないのです。「生きていく」それは自分の「生きる意思」を確認する作業です。

高橋氏は、この評論の中の言葉を借りるなら「武家社会」に属している人ではないかと思う。一日一日が真剣勝負で、一作一作が生きて行く「意思」に直結している人達。高橋氏や、精神的な真剣勝負をしている人達にとってはこの感慨は的を得たものなのかもしれない。しかし私は「市井」の人である。一日一日を惰性で過ごしているに過ぎない。『闇の梯子』を一段ずつ降りて行くように、いつとは覚えず藤沢の「負」の世界に共感を覚えるようになったそういう陳腐な一労働者に過ぎないのです。武士のように『ただ一撃』で物事が決まるような生活はしていない。

だから、例えば『幼い声』に関する私の感慨は以下のようなものです。おさななじみのおきみは父親が無実の罪で獄死してからは裏道を必死に生きてきた。出所するまで世話を焼いた男達に対しておきみはそっけない態度をとる。そういう彼女を「泣かない女」「1人でやっていける女」なんだと認める話です。認めるけれども「誰か1人は悲しまなければないらない」その1人に自分がなっていることを発見して、ただ「救われた」感じ(決して生きる意思とは関係ない)が少しするだけなのです。(ただ、このように私の感動した理由を言葉で書いてくれて、その意味でこの本は大変ありがたい本でした。)

決してさんぴんではない本 ★★★★☆
藤沢修平についてかかれた本は今までいくつか出ていたが、本書はそれらすべてと意を異にする。この本を読むと、今までの藤沢周平本がいかに無意味だったかを感じさせてくれる。そこらのガイドブックなんか読むな。とにかくこの本を読め。今まで長編を取り上げられることがほとんどだった藤沢周平作品に、はじめてて短編に注目したという点だけを見ても斬新だ。これを読むと、藤沢周平の本質は短編にあることが判り、今までの藤沢ファンは、目からうろこが落ちることだろう。時代小説ファンだけでなく、若い人にこそ読んでほしい。文芸批評を目指す大学生は必読。蘊蓄はもういいい。すばらしい本だ。とにかく読め。
既成概念を破壊する装置としてのテクスト ★★★★★
この藤沢周平に限らず、高橋氏の著作はなぜこんなにも心を動かすのであろうか。
心に引っかかっていた言葉にできない違和感を私の前に提示する。
植えつけられた既成概念を気持ちよく破壊してくれる。
現実に流されている私を、私自身が持つ理想へと導いてくれる。

ああ「これでしばらく生きていける」。
これを読んでそう思う。

「藤沢周平―負を生きる物語」を読んで ★★★★★
「これでしばらく、生きていける」
この本でキーワードとなる言葉である。
なんてほっとさせてくれる言葉!
「この一冊が劇的に私を変えた!」や「絶対に癒される本」などという言葉に
いつも居心地の悪さを感じてしまう。
そんなに簡単に救ってくれるものなのかな、この状況から…と。

でも感動する本や映画はあるし、あの時の気持ちをなんと表現すればいいか…。
が、「これでしばらく、生きていける」!そうそう、そんな感じ!

私が初めて呼んだ藤沢周平作品は、丁度この本で最初に取り上げられている「又蔵の火」だった。そしてそれは私が初めて呼んだ時代小説でもあった。

放蕩者のどうしようもない兄、兄のかなしみを感じ、兄の惨殺にやりきれない思いを抱く弟、最後には「斬られてやる」兄の敵…。この短編を読み終わったときなんと表現したらいいのかわからず、ただ胸がいっぱいになってしまってぼうっとしていたのを思い出した。

この作品で「時代小説なんて、坂本龍馬とか徳川家康とか、大河ドラマみたいなやつでしょー」という思いは吹き飛んでしまった。
それから本当に貪るように藤沢作品を読み、どれを読んでも、やっぱり胸がいっぱいになるのだった。なぜだろう?今まであまり考えたことがなかったのだが、それを本書で高橋氏が解き明かしてくれた。

そこには高橋氏が言うように「負」を抱え、「負」を生きる人々が描かれてきたからなのだろう。
うまく生きていくことができない登場人物に自分を見つけ、私も子供の頃に見た気がする光景を思い出し…、どうしようもない状況の中で強く生きていく姿にはっとして…。

様々な作品の印象的なシーンに改めて感動を覚えた。それは、もちろん作品が素晴らしいからであるが、高橋氏の明晰で反骨ながら、繊細な、限りない優しさを感じる評論ゆえだと思う。
「戦争嫌い、熱狂嫌い、流行嫌い」
私もそうやって、生きていけたらな…。
なんとか、ぼちぼちと…。