「わしはわしの星のどこかに1匹の老いぼれネズミがいると信じるに足る理由があるのじゃ。わしは夜、奴が泣いとるのを耳にしているからの。お主はその老いぼれネズミに審判を下すのじゃ。ときどき、お主は奴に死刑の宣告をすることになろう。そうすると、奴の命はお主の審判にかかってくることになる。しかし、お主は、経済上の問題で毎回奴を赦免しなくてはならぬ。なにしろ、この星にいるたった1匹のネズミじゃからの」
こんな調子でほかにも、ビジネスマン、地理学者、街灯点灯夫など、「大人」という人間の無益さの隠喩である人物がからかわれている。
彼の物語は、悲しみと孤独をぎりぎりいっぱいまで表現した非常に繊細な物語であり、ピーターパン風の甘ったるい物語のトーンは影すら見えない。…反面、彼のこのような繊細な文体は翻訳者にとってはまさに頭痛の種であり、1943年の翻訳版では、翻訳者のキャサリン・ウッズはときどき袋小路に迷い込んだらしく、やや不器用で説教がましいトーンの訳文に終わっている。幸いにも本書の訳者リチャード・ハワード(彼は1999年にStendhaの『The Charterhouse of Parma』でも素晴らしい仕事をしている)は、ごく簡素でシンプルな訳文によって成果を上げた。結果、この不滅の古典の、新しい改良版が誕生したといえる。さらに、オリジナルのアートワークがフル・カラー版に復元されているのもうれしい。
大人になる途中のある時点で我々は「ウィットがある人でいようとすると、嘘をつくことは多かれ少なかれ避けられない」ことに気づく。しかし、サンテグジュペリの描写はこのアイデアにごく自然に反論する。ウィットがあることとは、新鮮でユーモアがあり、そして真実に対して厳格であるということなのだ。この物語そのもののように。