解放的に圧迫される身体
★★★★☆
ちょっと前までは、こうだった、という事実を確認しながら、今、ここが変化したから、困ったことが起きているのかもしれない、という視点から、日本人の身体観(感)を論じた、啓蒙的な本。昨今メディアで話題となっている、摂食障害や家庭内暴力の増大の裏には、どうも、私たちの身体をめぐる意識や感覚の変化と、同時に、私たちが身体によって他人とコミュニケーションをとる時の「距離感」みたいなものの「歪み」が、複雑なかたちで存在しているようだ。
その歴史社会的背景を解読するためのデータは、基本的には、これまで日本民俗学が収集してきた資料である。私たちの先祖がつくりあげ、今のご老人方が受け継いできた農村社会の習慣、たとえば出産や育児や婚姻や葬儀のスタイルは、「プライバシー」を軽視した厳しそうなものであったとはいえ、やはりその社会とそこにおける人生の「問題」を防ぐための、優れた作法ではなかったか、と著者は問うているようだ。
だが、問題の構造は適確に指摘されているが、解決の道筋は、ほとんど示されないままで終わる。ちょっと、残念かもしれない。かつての霊魂観を論じたところでどうしようもない「靖国」(本書第七章)もふくめて、「昔に戻る」ことによる問題解決など、考えにくいだろう。なにか、読後に、閉塞的な気持ちが残ってしまったのである。