じっさい本作で、モリーナは思いもよらぬ音楽的輝きを生みだしている。ハスキーな優しいヴォーカルは、異色の構成の歌とアルバムの穏やかで陽気なプロダクション・センスに、せわしない亡霊のようにからみつき、ラテン風であるのと同じくらいエレクトロでもあるサウンドのなかをさまよっている。あらゆる文化を取りこみ最小限で多くを語るそのセンスは、ロサンゼルスで暮らしながらクラブでのギグのあいまにあわてて作った寄せ集めの2作目(1996年に母国アルゼンチンでリリースされた『Rara』)はもちろん、どんなアルバムにもなかなか見当たらないたぐいまれなものだ。悲しみに満ちた強烈なギターと、プロデューサー兼共作者のアレハンドロ・フラノフの繊細かつ快活なシンセのリフレインによって引っ張られ、モリーナの独特な構成の楽曲はしばしば、そよ風のなかに浮かび、白昼夢のなかを逃げまどっているように聞こえる。
モリーナいわく、本作は眠りにつく寸前にレコーディングされている。そして、吠える犬のリズミカルなコーラス、時を刻む時計、熱帯雨林の音風景などさまざまな音――その多くは、ときとして幻聴かと思えるほどにそっと奏でられる――を巻きこんだ無意識の流れが、ひどく人工的なシンセで味つけされ、夢のなかを漂うかのようなモリーナの甘いヴォーカルによって送り届けられる。また、さらに印象的なモリーナのソングライティングのセンスは、計り知れない潜在意識のようだ。
本作ではオープニングからエンディングまで、めったに見られない真の音楽的冒険が試みられている。(Jerry McCulley, Amazon.com)