聴いてつくづく感じるのは、どんな指揮者がやってきても、ウィーン・フィルはウィーン・フィルだということ。いつでも、匂いたつような優雅さ、甘く心地よいウィーン情緒だけは守られている。
結局のところ「ニューイヤー・コンサート」とは、ウィーン・フィルという世界一の美女が、毎年ゲスト・パートナーを替えながら艶やかにワルツを踊る場なのである。相手はいずれ劣らぬ男前ばかり、さまざまなエスコートに美女がいい気持ちになって舞うのも無理はない。
本ディスクには、マゼール(1981-1986)、カラヤン(1987)以降、指揮台に立ったマエストロのうち、クライバー、メータ、アーノンクールだけが収録されていないが、それでも十分、男前のパートナーたちのリードのお手並みを拝見するおもしろさが味わえる。唯一、1970年までウィーン・フィルのコンサートマスターだったボスコフスキーだけはこれらの指揮者たちとは違う。彼は1955年から1979年までほぼ毎年このコンサートを振り続け、美女の舞踊をより輝かせていった、この伝統の立役者である。
ところで、このディスクにはウィーン・フィルという美女のある本質が浮き彫りになっている。実はこの美女、とんでもない浮気者なのだ。しかしパートナーを替えるのがワルツの本質なのだとすれば、それもいたし方あるまい。私たちは美女の舞にひたすら見とれるのみである。(林田直樹)