充分にエンターテインメント性をもつ日記である
★★★★☆
私にとっては、ローティーンの頃から、一種の「バイブル」のような本であった。
読んでも読んでも、飽きるということがなかった。
今思うと、置かれた境遇は全く違いながら、同年代の同性の生活記録であったからだ。
内容は、ひたすらに「何を食べた」とか「風呂に入った」とか「誰が機嫌を損ねている」とか「誰と何を話した」とか「誰が何を差し入れに持ってきた」とか「外に出たい」とかの繰り返しであるから、起承転結とか物語性はないのである。
が、倉阪鬼一郎「活字狂想曲」でもそうだったように、私はこういう日常の瑣末事の繰り返しに弱い。魅入られてしまう。
私の場合は「アンネの日記」も、巻末の「アンネのその後の悲惨な結末」を除けば、作品としては「活字狂想曲」と同じように消費するのである。
実は「腐りかけたキャベツやジャガイモを食べ」なければいけないアンネの窮状とか、「外に出たくてたまらない」閉じ込められたアンネの気持ちとか、そういう悲惨さよりも、果てしなくマンネリな隠れ家生活の描写こそ、好んで消費していた。
アンネの日記は、プロであるうえ大人の書いた「活字狂想曲」に負けず劣らずエンターテインメント性がある、と思うし、同情を示されるよりはそのほうがアンネも喜ぶのではないか、と私は思っている。
これが公表されることを前提に書かれたものでないにしても、「かわいそう」しか感想がないのなら、アンネとしては本意ではないと私は思う。
アンネが何よりも喜ぶのは、自分の文章が人を楽しませた、という事実のほうであろう。
一部は父親が書いたと言われているが、それでも「単なる日記」または「ユダヤ人少女の隠れ家生活」以上に、読むものを楽しませる、それが私にとっての「アンネの日記」である。