「ああ、およめにいかない女の人が、うらやましいわ。」
ウェンディは、こんなくらしが、つらいのでしょうか。
いいえ。そんなことはありません。
そういいながら、ウェンディの顔は、うれしさにかがやいていたのです。
と作者は母性を擁護する(他に「女の子は、だれでも、お母さんになりたいと、思っています。」などというくだりもある)。
話が下ると、インディアンは海賊に片っ端から殺されるし、ピーターパンに率いられたネバーランドの子どもたちは、結局の所は海賊を皆殺しにして海賊船を乗っ取るわけで、やってることは海賊そのもの。
ウェンディを家に帰すまいと、先回りして家の窓のかんぬきを閉めようとするピーターパンは、自分が母親に愛されなかったトラウマたっぷりである。
ある程度教養を身につけた大人が読めば、(少なくとも本書の)ピーターパンは、こういう話であるということになる。
私は批評的児童文学論に馴染む者ではないが、確かに、こういう子供向けの本をたまに読んでみると、(児童)文学研究者、フェミニズム・ポストモダニズムの文芸評論家らの嘆息も、それなりに理解できる。子どもには、なんか適当に読ませておけばいいと!いうものでもないし、まして、「名作」なら安全だろうと考えるのであれば、それは、どうやら大きな錯誤であるようだ。