父・観阿弥による「曲舞」導入による猿楽能の変革、今熊野の演能による若将軍・足利義満との出会いと寵愛による栄光、観阿弥の死と近江猿楽・道阿弥への師事による方向性の転換、義満の死による没落、観世元重(四郎の子、後の音阿弥)の栄達と対照的に息子である観世元雅・元能兄弟の悲劇、そして自身の佐渡配島。
こうした世阿弥という1人の天才の涯を、南北朝という血生臭い時代を背景にして、描ききっているように思います。
タイトルにある「華」。『風姿花伝』のほか『花鏡』『至花道』など著書の題にも示される通り、生涯「花」を求め続けた世阿弥の、まさに碑文といえる内容をもっています。先に挙げた著作の内容も、分かりやすく、それでいて内容はそのまま、作中の効果的な部分において使われていることがまた、上手いなと感じます。
印象的なのが、時流に翻弄されながらも一貫して能を追求し続ける世阿弥の姿です。美しい面だけではなく、稚児というものの闇の面も描きながら、それもまた能を追求するための手段としてしまう世阿弥。音阿弥に対しても、息子の敵として恨む心はありながらも、後継者として息子たちよりも適任であることを認め、後事を託していく姿。
特に最後。世阿弥の死のシーン。世阿弥の死は、「能」が世阿弥という個人から解放されて約600年の後の現在まで、そしてこれからも伝わっていく礎となったことがここには描かれています。