中国アジア東南の沃土を占めて、久しく東亜に於ける唯一の文明的大国てあった。之に比ぶれば、四周の国々は頗る貧弱で、開発にも遅れ、概して言へば、中原の中心から遠ざかるに随って、次第に益々気候も風土も悪く、物資は乏しく、住民は未開であった。されば之に馴れた中国人は自然に倨傲となり、自ら崇めて華夏中国の選民と信じ、他を卑めて戎狄蛮夷と謂ひ、尊大自ら許して所謂華夷の思想を馴致したのである。かくて矢野(仁一)博士も言はるる通り、中国は自ら天下であって国家ではない。王者の徳に厚薄はあるが、王化の及ぶ所悉く一天下であって、之に対立するカの存在を許さない。八方の辺裔に居るものは蠢爾たる夷狄のみと考えられたのである。この考え方は対等に並立する国家の存在を認めないから、近世のの初頭になって欧米列強の勢力が東漸するや、先ず相互の国交の緩和を妨げ、やがて中国の破滅を来すこととなった。(1950年、岩波書店発行、和田清著「中国史概説 上巻」P.1~2)
中国人の優越感は日本人が秦始皇帝の家来徐福の子孫であると本気に信じこむことや、沖繩の宗主権を主張することやで、現在なお健在であるが、華僑のように海外に出た“身内”の人たちに対してさえ抑制することを知らないのである。
天孫降臨をしたのが 神武天皇であるという本を書かれる程度の日本の知識しかないかたでも、徐福の日本渡来論をかいてしまう状況というのは このような基盤があったからではないかと 私は思うのですが。