限りなき風景との対話
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昭和22年の第3回日展に出品した『残照』をこの画集の巻頭に掲げている。魁夷39歳、この作品が日展特選、政府買い上げとなる。これを転機として風景画家として立つことを決意する。
風景は現実の対象の風景というより魁夷の心をそのまま写しだしているように思われる。それ以後の魁夷の作品が常に見る者を惹き付けてやまないのは、自然を見つめる清冽な眼と、その眼が心に呼び起こした感動が常に潜んでいるからであるらしい。それ以後の歩みは順調であった。北欧風景遍歴「白い馬の見える風景」、京洛の四季「京洛のスケッチ」、水墨画の世界「唐招提寺障壁画」と続く流れは、西と東、南と北、感覚的と精神的という、自身の内部では矛盾することのない、それでいて本質的に正反対の谷間で揺れ動く心を示すものであった。どこまでも終わることのない風景との対話は、内的欲求のしからしむるところであった。
東山魁夷画文集「風景との対話」にはつぎのような一節がある。「私は生かされている。野の草と同じである。生かされているという宿命の中で、せいいっぱい生きたいと思っている。せいいっぱい生きるなどということは難しいことだが、生かされているという認識によって、いくらか救われる」(雅)