戦争とは2面的な発想を要求する現象である。一方の極には、徹底した破壊によって敵に甚大な被害をもたらそうとする大量消費の発想があり、もう一方の極には、時間や資源や人員の消費を最小限にとどめようとする最大節約の発想がある。この相互矛盾を解消するために、人類は兵器や兵站の発明や改良に多くの智恵を絞り、結果として戦争で大規模な破壊や殺戮が繰り返されるたびに、技術が飛躍的な進歩を遂げる逆説が出現することになった。あのレオナルド・ダ・ヴィンチが、兵器の研究に熱中した理由もまさにこの逆説のなかにあるのだろう。「戦争は技術の母である」とはよくぞいったものである。
建築もまた、戦争によって大きな発展を遂げた技術体系の1つであることは言うまでもない。タイトルのとおりに戦争と建築の関係について述べた本書は、いよいよその意を強くさせる1冊である。本書の記述は主に2方向、ルネッサンスの要塞都市や架空都市、震災や戦災を経験した東京の変貌、バックミンスター・フラーやチャールズ・イームズのデザイン思想などについての歴史的分析と、オウム真理教や「9.11」、あるいは北朝鮮やイラク戦争といった諸々のカタストロフにうかがわれるセキュリティーの問題などを扱ったリアルタイム分析とによってなされているが、丹念な系譜学と現在形の臨場感とが同居したその考察からは、戦争と建築の古くて新しい蜜月がまざまざと感じ取られる。本書を一読して先の逆説が思い浮かぶとすれば、それは至極まっとうな感想と言うべきだろう。
なおあとがきでは、戦争のテクノロジーを、防御の時代、攻撃の時代、情報の時代の3つに分けて整理し、そのアクチュアリティーを指摘するフランスの思想家ポール・ヴィリリオの見解が紹介されているが、その認識の多くは著者によっても共有されているはずだ。本書を手にとって今さらのように思い知らされること、それは幸いかれこれ半世紀以上戦禍を免れてきた日本にとっても、戦争は決して対岸の火事ではないという当たり前の事実にほかなるまい。(暮沢剛巳)
戦争(破壊)と建築(創造)は表裏一体
★★★★☆
古代より都市計画は戦争と密接に関わっている。古代の都市計画は戦争による攻撃、防御に基づいて行われており、住むためというより戦うための都市であった。その象徴が城壁や濠である。しかし、近代の飛行機の登場により、防御という意味での城壁や濠は無意味なものとなり、空からの攻撃に対する防空が意識される。そこでは空に対する5番目のファサードが想定され、様々なカモフラージュが行われる。さらに、核兵器の登場により都市の防御は完全に不可能なものとなり、都市の分散が考えられるようになる。戦争と建築の歴史的変遷を解説しつつ、戦争による破壊と都市計画或は建築による再生(創造)という、表裏一体の関係について考えさせられる著作。
「戦争」と「建築」にまつわるお話いろいろ
★★★☆☆
タイトルでおもわず買ったとしたら評価が大きく分かれる本だと思います。「戦争があって発展する科学技術の一部としての建築を論じた体系的な本」を期待すると裏切られます。内容は古今東西の歴史ありイラク情勢ありイームズのデザインありセキュリティありといった具合に話題はあちらこちらへ。これも雑誌掲載論文がまとめられているからなので、それをどういうストーリーでもって「戦争と建築」なのか?を期待して読むのなら買いです。五十嵐太郎ファンの方も買いです。
戦争で建築。
★★★★☆
~建築と戦争は根強く結びつく。それは建造物そのものだけではなく、戦争をアンリアルなものとして生きる作り手(=建築家)にも同様だ。俯瞰という神の目からカモフラージュ、投下される爆弾からの衝撃を最小限に抑えるための形態、必然的に行われる建築への変形、さらには戦争がビデオカメラというメディアを通して放送される現在においてはカメラそのものが~~戦争のメタファーとして非戦争地域にまで戦争を想起させる。戦争が起こっている事さえ希薄なものとして感じてしまう現在において戦争、そして建築を考える人にとって重要な一冊。~