ターミナルケアの古典
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ターミナルケア(終末医療)のさきがけに寄与したと言われる著者が、死を迎える人がどのようなプロセスを辿り、周囲と乗り越えていくのかを探った、実に興味深い本。
死という避けがたい事象に対して、人の反応にはある程度の心理過程パターン(拒否・反抗、取引、無感覚、受容)があり、その全てを全員が踏破するわけではないが、最も良く死ぬる人であれば、最後の受容に到達しうることが書かれている。そしてその受容とは当事者だけでなく、最愛あるいは憎しみを持ったまま死にゆく家族と対峙しなければいけない遺族にも当てはまり、当然のことながらロスは可能な限りこのような終末患者とその家族が死の受容をすべきだと説く。
終末医療という観念が薄かった40年ほど前に、死を迎える人々に対する病院のあり方を問う内容というべきだが、実は生きている人間においても、対決不能な限界や困難に対する受容に関する貴重な知見を授けてくれている点が素晴らしい。
非常に示唆的であり、考えさせられた。
Death and Dying
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邦題よりも原題の方がしっくり来ています。死は誰にでも訪れるもの。でも多くの人は死を無視し、理解できません。それは一度経験したらもうそれまでだからです。誰もこの疑問について教えてくれることはありません。しかしこの本を通して死にまつわることについて私たちが学ぶとき、生きるということが更に大切であることを教えてくれます。死ぬ本人もそうですが、死をみとるものにとっても重要な要素を教えています。死を見つめることにより所為がより大切であることを知り、また、生きることを充実させる時、死が更に人生において重要なものであることを、はっきりと語っている本であると感じました。
死から生を考える
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看護職をしていると、生と死、生き様や人の在りようが極身近にあるからか
死や生について考える機会に富んでいる
キューブラー・ロスから学ぶ死の課程を 臨床で活かしながら
自己の死についても考えない人はいないと思う
どのように死を迎え、どのように死ぬかを考え、死を意識して
どのように生きるかを考える。生き方を模索することへと発展する
がん告知された時、頭では理解しても心は激しく拒否した
一方で、仕事や家庭の段取りを淡々と済ませて、いつものように日常を送り
遺言書を残し、娘へ大事な手紙を書き、親しい人へのお礼を探し、命に感謝した
夫と今まで以上に寄り添い、手をつなぎ、心を傾け、できることを探した。
身近な人を愛して愛して感謝して、少しの時間も無駄にしたくないと動いた。
入院までの一日、一日は日々が輝いて感じ、何と幸せな出会いだったのだろう
色々な経験をさせてくれた、命を与えてくれた親にも先祖にも神にも深く感謝した
絶対の保障など無いのだから、伝えられるうちに多くの人にありがとうを残した
幸せだったと感じることが改めてできたことが、喜びであり、財産になった
生きたいと強く願う気持ちは、手術台に乗って意識が落ちるまで消えることは無かった
まだまだ幸せにしたい人たちがいる。でも辛い人生でもあった、もういいです。
自己矛盾の中、身をゆだねて生きることを知り、欲は簡単に捨てられることを学ぶ
意外と、高度医療は求めなかった。ほどほど医者は親切でいい。ほどほど腕が良ければいい。
ほどほど看護師は親切であればいい。最高でなくてもいい、関与してくれありがとう
運命に身を任せること、それも私の人生なのだから善悪はない。
偶然か必然かのご縁に、あまり求めるものはなく、残すことになる家族の今後が心配だった
親の死が子どもに与える影響、夫の負担、残された家族の人生に与える影響は少なくない
死を意識して生きる事は、今、命を再び与えられた私の器の深さ、丁寧に生を生きる事へと繋がっている
必要なものと必要でないもの、物事の優先順位、生きる目的と目標の総てを学んだ。
総てを排除し、必要なものだけを拾うことで、シンプルになり、生きることが楽になった。
機会を与えてくれた病気に、生かされていることに感謝する日々を送っている
ロス氏の著書との出会いは、看護学生時代の20年前になる
淀キリの柏木先生とホスピスで終末期医療のケアに情熱を注ぐか、救急現場に出るか、
子ども病院で働くかの3つで迷いながら、いつかホスピス勤務に就ける器になろうと
最前線での医療を選択した
過去にロス氏の本を読んだ時には幼すぎて心に落ちなかった事も、
自らの体験を通して読む事で、ロス氏の一節の奥に隠された深い背景や思いが
クリアになり、納得できた事が、自らの死を理解し深める手立て、助けとなった
死のプロセスの経過や言葉を知ること自体が重要なのではない
危機的状況において、どのような行動を取るかに意味があることを探ることが重要になる
「生きる事に意味がある」「生きる目的がある」
生きる質を支えることが、明確な意味を持つ
身体、精神、魂、家族、社会、経済背景などを含め、全人的なアプローチで
どう支えるかが、医療の資質に求められるところであり、ケアのダイナミクスに繋がる
死をイメージし、身近に感じることは、死から生(生き方)を学ぶ上で重要となる
患者さんへのより深いケアとサポートの質をあげる助けとなる
やがて死にゆくすべての人へ奨めたい
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人は己の死が避けられないとわかったとき、どのようにそれを受け止めて行くのか?多くの末期患者へのインタビューをもとに、それは5段階の過程を経る、という説を提唱してみせる本書。書かれて50年近く経つ古典だが、今だ末期ガンなどのターミナルケアの現場では最も重要な文献の一つとして、大事にされているという。
5段階とは以下のような過程をいう。
怒り anger
否定 denial
取引 bargening
絶望 depression
受容 acceptance
人は死にあたって、最終的にはそれを受容する精神状態に到達するらしい。これはちょっと救いのある話である。ただその受容とは、必ずしも精神的に高次に達したから、というわけではなく、肉体の衰えと共に、もはや死を絶望するエネルギーすら失われることの結果であるそうだ。これはちょっと悲しい。人間とは、最後はろうそくの炎のように、すべてのエネルギーを使い果たして、消えるように死んで行くのだろうか。
さて、この死の5段階受容説、ボブ・フォッシーの映画”オール・ザット・ジャズ”に代表されるようにポップ・カルチャーへの影響も大きい。末期患者が身近にいる人や医療に関わる人で無くても、読んでおいて損は無い本だ。何年か、何十年か、その先には自分が通る道なのかもしれないのだから。少なくともこの5段階の受容説という理論を知っておく事で、少しは自分を冷静に観察でき、死に対する覚悟をする助けとなろう、そんな気がする。
ところで、タイトルは”死ぬ瞬間”であるが、内容は上記のように死の受容についてであり、本当に死ぬ瞬間のことは書かれていない。著者エリザベス・キューブラー・ロス女史はこの本の後、死の瞬間というさらなる深淵を求めて、臨死体験者などへのインタビューを重ねるうちに、ついに理性では説明しきれない、あの世の存在を確信するに到ったらしい。いささかスピリチュアルに流されてしまったというその後の著書は、私の興味の範疇外だが、本書はそうなる前の、医者として、科学者としての冷静な視点が貫かれている。死というものの本質を深く考えさせられる名著だと思う。やがて死にゆく、すべての人に奨めたい。
死は誰のもの
★★★★☆
2009年2月、米国アカデミー賞は、
納棺師を描いた日本映画「おくりびと」が
外国語映画賞を受賞しました。
また、国内でも1月には
死者を悼む旅を続ける男を描いた小説「悼む人」が
直木賞を受賞しました。
いずれの作品も
「死」を見つめ直すことがテーマとなっています。
私はそんな時期に、
やはり「死」を中心テーマに据えた
本書「死ぬ瞬間」を紐解きました。
人が死に至る過程には、
「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」の
5段階があることを、
200人に及ぶ末期患者への
インタビューにより明らかにした本書は、
1969年の発表以来、
今日に至るまで世界中で読まれている名著です。
本書で取り上げられている
インタビューを読んでみると、
死を迎えようとする人間が
いかに孤独にさいなまれているかが分かります。
「死」は誰にでも訪れるものであり、
この世の誰一人としてそれを避けることはできません。
(余談ですが、著者のエリザベス・キューブラー・ロスも
2004年に没したとのことです)
このことから、どのような人の「死」も
他人事として捉えるべきではないと言えますが、
では、どのように対処していったらよいのか、
考えるヒントが本書には隠されています。
周囲の人の「死」。そして自分の「死」。
まだ遠い先のことのような、そんな「死」について、
考えるヒントを与えてくれる本書は、
どんな世代の人が読んでも
深い感銘を得ることができる良書であると思います。
一読の価値あり、です。