昨今の異常な事件に関する安直な議論として、「青少年がコンピュータゲームやインターネットに熱中した結果、現実と仮想世界の区別ができなくなって事件を起こす」といった見方があります。著者はこれに異を唱え、彼らは現実と仮想の区別ができないのではなく、幼児期の誇大自己を現実に適応させられずに悩んでいるのだと見ます。彼らは、ネットの透過的な適応性に親しみを感じ、生身の人間相手には表現できないことを仮想世界に発信し、またそこから情報を得ます。したがって、我々は、一旦この仮想世界を通じて彼らに手を差し伸べることによって、現実世界での適応性を回復させることができるのではないかと考えているようです。
もちろん、著者の臨床経験からもこの着想の妥当性はごく一部の適合性がみられるだけで、明確な見通しが得られているわけではありません。しかし、人の情報処理のインターフェースが直接の対面関係から情報ネットワークを介した形態にウェートが移行しつつあるのが事実である以上、この方向でさらにいっそう思索の網を広げていくことが大事だと思います。