北陸・山陰から見た日本の近代
★★★★★
田中角栄の評価を巡る、中央と地方の温度差。ナホトカ号事故による流出油への政府の対応の鈍さ。本書の問題意識は、新潟大学に籍を置く著者自身のこれらの経験から感じた違和感から始まる。太平洋側に比して、日本海側は歴史的に差別され、「裏日本」として「表日本」との間には大きな社会的経済的格差が醸成されてきた。本書は、そのような「裏日本」から見た日本の近代史である。
明治以前には穀倉地帯として豊かさを謳歌してきた「裏日本」。維新後には国民国家建設と近代化の過程でヒト・モノ・カネの「表日本」への移送システムが形成され、停滞地域とさせられていく。「裏日本」からの膨大な地租・地代が資本に転化し、太平洋側地域における社会資本整備に投下されていく様は、なるほど近代化するということはこういうものかとハッとさせられるものがある。自分の思考の枠組みにおいて所与のものとして居座っていた近代国民国家の成立と展開が、「裏日本」という視点に立つことによって発想の転換を促してくれる。1997年に書かれた若干古い本であるが、日本海を巡る国際情勢及び地域格差の問題は現代日本においても未だペンディングな問題であり、本書はそれらを考える上でも不可欠な視座を提供してくれるだろうと思う。
グローバル化論の国内版?
★★★★★
1941年長野県に生まれ、中国近現代史を専攻する新潟大学教授が、病身をおして1997年に刊行した本。本書の言う裏日本とは、日本海側の北陸・山陰を指す。前近代のこの地域は、海運と米作が発達し、太平洋側に劣らない豊かな土地であった。しかし産業革命期、日本海側から太平洋側へのカネ(資金源は地租と、地代の資本転換)・ヒト(北海道と、都市化した表日本へ)・モノ(電力・米穀→米騒動)の移転システムが形成され、社会資本格差が生まれ、これを背景に日清・日露戦争期に裏日本意識が浸透してゆく。それはやがて、一方では平和主義や超国境意識も生み出しながら、他方では日本海湖水化論に見られるような、対外強硬論=北海道・朝鮮等の「裏アジア」を踏み台にした「表アジア」化=半周辺型発展論にもつながった。敗戦後の高度経済成長期には、再度太平洋側への傾斜投資が行われ、裏日本の資金は枯渇し、迷惑施設・公害・リゾート開発の周辺部移転、過疎過密問題が顕在化した。交通網の発達により、表日本−裏日本格差は都市−農村格差一般に解消されつつあるが、管理中枢の東京集中は進んだ(南南問題?)。著者はこの背景として経済効率至上主義の問題性を見、対案として内発的発展論、特に近代の国境を相対化する環日本海交流と、ネットワーク型組織による住民投票の動きを、その意義と限界を踏まえつつ提起している。本書を読んでいると、統一権力の有無という差異はあれ、グローバル化論の国内版という感が強い。全体的に読みやすく論旨が明晰であり、また県民性についての著者の見解も説得的である。ただし、山陰と北陸で差異があるにもかかわらず、それらを一括して論じるのはどうか。
裏日本
★★★☆☆
裏日本という概念がどうやって成立したかが書かれており、地域格差を考える上で、とても興味深いものです。ここでの裏日本とは、北陸や山陰です。地域格差は自然に生じたものではなく、政策によって生じたものであることがわかります。以前は、金沢が大都市であったという資料などがあり、現代の感覚とは違うことなどがわかり、大変面白かったです。硬い本ではありますが、ユニークな視点の本だと思いました。
格差を広げた国策
★★★★☆
最近、格差格差と騒いでおりますが、まさに大昔から格差があって、それが表日本と裏日本ではっきりしている事がわかります。
裏日本と言う言葉自体は最近使われないようですが、明らかに「暗い」とかのイメージがあります。その言葉が生まれた背景が種々なデータを織り交ぜて説明してくれます。ここでは裏日本は北陸および山陰を中心に述べています。そして、裏日本と言う言葉が出来た根本原因は国策であったことが明らかです。明治30年以前とその後を比べるとあらゆる面で(地租、稲産出量、人口)裏日本と言われる地域およびそこに住む人々が冷遇された(搾取された)かが分かります。ある種、田中角栄の出現が必然だったのかもしれません。最後の方では原発を取り上げ、現在も続く裏日本と表日本の格差を示されています。
筆者は癌で2002年に亡くなられたそうですが、環日本海構想などで積極的にアジアとの協調を訴えられていたそうです。さらなる活躍が期待されていたと思います。
まだまだ理解が十分ではないと思いますので、読み直さないといけない一冊だと思いました。
The End of Ideology?
★★★★★
明治以降の日本の合理化の課程を表日本・裏日本という視点から分析する弁証法的近代日本史。表日本支配下における、裏日本からの資本の流れ、搾取の構造を暴き出す。マルクス・エンゲルスが労働者に団結を呼びかけたように、著者は裏日本の表日本支配からの自立を呼びかけているように思わせながらも、実は、そのような被害妄想を「裏日本イデオロギー」と言い捨てる。終章で、著者は、裏日本の新しい在り方を提言するが、前章で論じてきた、表日本・裏日本という文字どうり表裏一体の依存関係から独立した裏日本の新しい価値感など可能なのだろうか。むしろそれもまた表日本支配の下、「裏日本イデオロギー」に組み込まれてしまうのではないだろうか。あるいはそれを通り超えて、著者は、裏日本の自立という名の、表日本の終わりを示唆しているのだろうか。地方分権に興味のある方には必読の一冊。