そんなだから、これを爵位はもちろんなくて、オクスブリッジも出ていないような地方都市出の田舎者がやったことだとは信じたくないインテリ達もきっときっと多かったんでしょうね。
で、これはそのうちの一人、はるばる大西洋を越えてやってきたアメリカ女性ディーリア・ベーコンのお話です。彼女はフランシス・ベーコン(身内ってわけじゃない)=シェイクスピア説を妄執的に信じてしまい、エマーソンやらホーソーンやらを巻き込んでいく。ある種の恋情にも似た一途さはほとんどストーカー的とも見えるくらい。彼女がいかにここまでの気持ちを持つにいたったか、そして回りがどう巻き込まれていったかなどということが、他のシェイクスピア別人説などと平行して語られます。ホント、シェイクスピアご本人も芝居並みに面白いヒトだわっ!
共通して言えることは、どちらも一流の作品を創作し、作品そのものが何百年を経ても人々を魅了してやまないことである。
「作品が素晴らしいことは間違いないので、後世の人間は、作者の墓を暴くような真似をせずに、ただ作品を楽しめばよい」という意見に説得力があることはよくわかるが、どうしても作者の素性を追及しなければ気が済まない研究者のさがも、作品研究の進歩に貢献していることも、認めなければなるまい。
本書は、シェイクスピア別人説に取り付かれ、人生をそれに捧げた女性研究者の記録である。
但し、本書の主眼はシェイクスピア別人説の検証ではない。
シェイクスピア別人説を軸に、シェイクスピア周辺、シェイクスピア研究周辺の様々な魅力ある人物が登場し、その足跡をたどることが本書の大きな魅力である。また、シェイクスピア別人説を通じて、英米のシェイクスピア観の相違を浮き彫りにしていることも本書の魅力である。
シェイクスピア作品の魅力が、人や歴史を動かしていることが実感できる好著。