職人が苦労して修業してきたから鮨が美味くなる、というものでは決して無かろう。がしかし、これまで美味いと思っていた鮨に、鮨そのもの以外の新たな情報を教えられると、いっそう味わい深く感じるというのもまた事実である。私は「新橋鶴八」の頁は、涙無くしては読めなかった。
興味深いのは著者がこのタイトルを気に入らず、最後まで「男たちはなぜ鮨屋になったのか」というものに固執していたのに対し、山本益博が出版予定していた「次郎本」のタイトルとして「鮨を極める」を考えており、先を越されて泣く泣く「至福のすし」に変更したというエピソード。両者のスタンス、センスの違いが垣間見えて面白い。
ただ、登場するのは全員、高級店の職人ばかりである。それは著者が無類のスシ好きで、基本的には著者が客として気に入った職人たちだけを描いているからだ。誰にでも固有の人生があるとはいえ、彼らのストーリーには重なる部分も多く、後半は少々飽きた。グルメガイドブックとして読む者にはこれでいいのかもしれないが、大成功を収めた回転ズシの社長兼職人とか、邪道と呼ばれるようなスシを積極的につくっている職人とか、私としてはそんなバラエティがほしかった。
またスシ屋での客の振舞いはこうあるべきといった著者の信条や、本筋とは関係のない著名人たちと著者との交流話などがどうも鼻につき、もう一歩登場人物たちの人生に私は入っていけなかった。残念である。