レタスの油炒め
★★★★☆
辺見さんは大学の先輩だがもちろん面識はない。病気から立ち直られ何よりです。さて食い物だが私は1948年生まれでまだ日本は敗戦の混乱から脱してなく食える物は何でも食う時代だった。小学校の給食で脱脂粉乳の牛乳みたいな代物を飲まされたがおならがでるので嫌われた。後にアメリカでは牛の飼料だと知って怒髪天をついたが後の祭り。最大のご馳走は鯨の肉でシーシェパードにはほんと申し訳ない。だって鯨食わなきゃ餓死だぜ。ごめんね。私らの世代はグルメなどはあんまりいないのでは?さらに学生時代は逮捕歴4回で留置所の飯は最低で腹が減ってしょうがない。昼飯はマーガリンかジャムを薄く塗った食パン1枚。拷問だぜ。美味しいものといえば。なんで鴻上尚史の「ヘルメットをかぶった」Aさんの話になるんだろ?恋愛感情なんて持ったことないのに。私が夜逃げ癖で文学部裏の革マル派のアジトに「監禁」されたとき「監視」役が彼女である。夜お腹がすいたといったら彼女が冷蔵庫を探してレタスの油炒めを作ってくれた。それを二人で食べた。自宅通学の彼女がなぜ私と一緒か言わないが「何であんたなんかと」とはいわなかった。美味しいと食べたら「そお」とだけいってあとは枕を並べて寝てしまった。
「食」というファインダーを通して見る世界の人々の生き様
★★★★★
タイトルと宣伝文句から世界の食文化を掘り下げたノンフィクション作品かと思って読み始めたが、実際のところは全く違った。「食」はファインダーに過ぎず、描かれているのは国々と人々の歴史であり生き様であった。
バングラデシュ難民キャンプの人々とその周辺に住む人々の確執。残留日本兵の「うめき声」と向き合う現代フィリピンの人々。ドイツ統合の落とし子である外国人排斥運動に会うトルコ人。セルビア軍の砲撃で吹き飛ばされた家に一人暮らすクロアチア人女性。聖なるパンを片手に、拳銃を片手に持つ修道士。届けに来たのは平和か暴力か、そんな米国軍に敵意を見せるソマリアの民衆。北方領土日本返還論に賛成する択捉島の老夫婦。
しばしば「悲劇」と評されている各地での光景だが、これが現実であり世界であり人間なのだと感じた。その感覚は、幸運か不運か、頭の遠いところで影としてしか現れないのだが、少なくともそのような影が脳裏に浮かぶルポルタージュであった。
それにしても、焼き魚の話を聞きつけては島を巡り、炭鉱に共に潜っては石炭にシャベルを刺すような著者の影を追い、これこそが「旅」であるかと思わせられた。通常の「旅行」ではなく、このような旅をしてみたいものである、ついついそう思ってしまった。
あんた、あれがね、サック洗いね、忘れられないのよ。
★★★★★
p329〜
昭和天皇の「股肱の臣」たちが、ズボンの前を開けて行列をつくった。(略)「使ったサック(コンドーム)をね、将校が来る前に洗うのよ」
(略)「〜一度に四十個も洗ったりしたですよ」あんた、あれがね、サック洗いね、忘れられないのよ。いまでもね。思い出がやってくるのよ。
いつか日本に行って、私死ぬところを、日本人に見せつけてやりたくなるのよ・・・。
この本に書かれていることの多くは私が想像もしていなかったことです。
読んでおいて良かったと思いました。
ありがとうございます
★★★★★
この本を書いて下さって、本当にありがとうございます。そう言いたい。
まず知ること、それが共感の第一歩だ。
この本がなければ、チェルノブイリの老婆も、枯れ枝少女も、知ることがなかった。
人は生きている限りものを食う。
富む人も、貧する人も、健やかな人も、病める人も。
その共通点がある限り、人は人に寄り添えるのではないだろうか。
この本を読んだからと言って、何ができる訳ではない。
現場にも行けない私が、軽々しく何かを言っていい問題ではない。
でも知らないよりずっといい。知らないでいいことなんか何もない。
同じ星という場所を共有しているのだから。
食事は残すな、味に文句を言うな、と教えられて育った。当然だ。
戦中戦後の食糧難を経験した祖母は、食べ物だけは惜しみなく他人に与えた。
軍隊生活を送った祖父は、食べ物はなんでも惜しみ、隠しておこうとした。
どちらも私に、食べ物とは何か、を考えさせた。
共感だとか募金だとかの言葉に「偽善」と噛み付く人がいる。
ただ、明日は我が身との思いだけなのだが。情けは他人の為ではなく、自分の為だ。
恵まれているから甘いことが言えるんだ、とも言われる。
確かに恵まれている。今日も食べられるのだから。
読み手の検証力が問われる本です。
★★★☆☆
最初の一回は感動しますね。それは解ります。
でも2回、3回と繰り返して読むと、この本の疑問点がボロボロでます。
・旅行ルートが謎。
・通訳とカメラマンが居たはずなのに、独りで旅したように書いてる。
・写真が全部、ヤラセっぽい。(特に韓国編。あの構図はありえない)。