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いのちの授業

価格: ¥1
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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学びの場としての『学校』を愛した校長へのレクイエム ★★★★★
この作品に出逢って感じたことは先ず第一に死と向き合うことは生と向き合うことと同質だということである。第二にはその人が或る日突然に目の前からいなくなっても、その人の遺した足跡は消えずに周りの人の中に生き続け、更にその人達の後へも生き続けるというシンプルな事実である。書物の冒頭、主人公の大瀬校長はとあるクラスの授業で自らの病を一つの素材として授業をする。現代の最先端医療を以てしても完全治癒の可能性は五分五分といわれる病に自ら向き合い自らを素材とすることによって、生きることの意味、繋がるいのちの姿を学びの場に吹き込む。タイトルからすれば闘病記と受け取られがちであるが、この作品の持つもう一つの魅力は大瀬校長が勤務する学校をどのような場にするか尽力し、周囲の教職員の1人1人もそれに応えるよう只管に知恵を出し体を使っている点である。その姿は恰も1人の教師と生徒児童が向き合うかのような姿に似ている。そして何よりもこの人物が目指す、学校が学びの場として生徒児童とともに教師1人1人も成長する場であるという最も大切な部分である。学校という組織の中には本来、マネージャーとスタッフの関係は成り立たない。いや成り立たせてはならない。なぜならそうした関係のあり方は上意下達の揺るぎない?組織形態であり、教育という成長する組織の性質とは逆行するからである。こうした点から本書を一つの教育実践記録として読むことが大瀬校長への何よりの答礼であろう。
いのちをつなぐ それは、生きること、教えること ★★★★★
~授業は うまいへたではない。
自分のスタイル、モードを持つこと。と 言い切る。
若手教師の探索的な授業計画に立ち会い、鋭いアドバイスをする。
それが失敗しても、それをきちんと一緒に振り返り、言葉にし記録する。
自分の、死に行くさまをビデオに記録して、生徒の教材にして欲しいという。
いのちの授業ではなく、死の授業をやりたいと提案する~~。
その提案を、同僚から疑問を踏まえて取り下げる。
冬休み前に、生徒に宿題まで出しておいて、1月3日に突然死んでしまう。

知識や技術を伝えることだけではない。
教育者として、つなぐ
生きるものとして、つなぐ
とんでもない、生き方、生き様、去り方  心を打つ。
亡くなってからお別れの会までと、授業を受けた子供たちのその後をつづった$N~~$ 最後の2つの章が 印象に残る。~