宮澤賢治を思わせる山びこ学校の一生徒、江口江一の生涯は感動的
★★★★★
山びこ学校の無着先生と教え子を戦中から1992年ころまでのそれぞれの人生と時代背景を描く。山びこを座右にしながら読みたい一冊で、生徒の家庭環境などが詳細に書かれており、山びこの詩や作文の理解が深まる。巻末の参考文献は23ページにも及び本書の信頼性を高める。無着の教育は非難されることがあるが、時代背景を考慮して無着が苦労して作り上げたものであったことがわかる。本書は無着と山びこの美化に終わっておらず、生徒の一人の佐藤藤三郎と無着の論争や、山元村から追われた無着の闘争と挫折も描かれている。特筆すべきは、山びこの中の名作“母の死とその後”の著者である江口江一の生涯の記録。“母の死,,”の文部大臣賞授賞式で貧しさのために学友から学生服を借りざるを得ず、同時受賞した小学3年生より体格が劣っていたという中学3年生の時から、後には“母の死,,”から得た名声を厭い絶筆しつつも人間的に成長し、村のために自らの健康を犠牲にして生きる姿勢は、雨ニモマケズの宮澤賢治あるいは賢治の作品のグスコーブドリを思わせ感動的。その31歳の生涯を終えるまで、村の植林に命を捧げる姿は、山びこ学校の教育の結晶といえる。無着本人も含め、多くの生徒が山びこ当時の理想から辛酸を舐め挫折したとはいえ、山びこは現在も世代を超えて読み継がれているが、本書は、名声を残すことなく急死した江口の感動的な生涯を記録しており、山びこ本編とともに後世に残したい。最後に、山びこの教育とはを語るのに一つの逸話を紹介したい。無着の同僚が“私達は人間最低の線として、(生徒に)嘘をつくな、陰口を言うな、ごまかしをするな、するまえに考えること、みんな力を合わせることの五つは、一人残らず身につけさせてやりたい”と語った時に、それを聞いた人物が“あなた、それは人間最高の線ですよ”と感動したという。
佐野眞一さんにはまる
★★★★★
私の、この本の初独は、文藝春秋から、単行本が出た
1992年である。
そのおよそ10年後、佐野眞一さんの「だれが本を殺すのか」
を読んだ。そして、不明にもその時初めて「遠い山びこ」
が、佐野さんの作品だと知るのである。
「遠い山びこ」の丹念な取材、本当のことを知ろうと
する、あくなき探究心。
そして、貧しい山村の現実。
民主主義が救えなかった貧困。
もう一度私は、「山びこ学校」を読み始めていた。
時は皆に平等に過ぎてゆく
★★★★☆
時は皆に平等に過ぎてゆく。
それは残酷な事だ。
40年を経て尋ねた山びこ学校の生徒たち。
時は皆に平等に過ぎてゆくはずなのに。
やはり戦後の教育実践の金字塔か
★★★★☆
林竹二や斎藤喜博など日本の民主教育を築いた人々はすでに
他界した。無着は昨年ラジオに登場して皆を驚かせた。
あの、懐かしい東北弁での教育相談である。やはり、この本
にあるとおり無着は教育実践一筋の人間である。すばらしい
実践の軌跡であった、感動した。
執念の調査…実に佐野眞一らしい作品である
★★★★★
昭和40年代生まれの私は「やまびこ学校」の存在を全く知らなかった。教師をしていた無着成恭もラジオで人生相談をやっていた人という記憶があるくらいで(思い違いかもしれないが)、どんな人物かは全く知らなかった。知っていた人(当事者以外の)にとっても、この作品が最初に発表された‘92年の時点では記憶の彼方に去ってしまった出来事だったに違いないのではないか。
著者がこの作品を書いたのは極めて私的なきっかけである。彼は、無着と当時の生徒43名のその後を取材することで、「やまびこ学校」がもたらしたもの、高度経済成長以降の戦後民主義教育の変遷を辿ろうとしているのだが、無着成恭と佐藤藤三郎を除いて本当に市井の一般人ばかりである。しかも、零細な兼業農家の子供だった生徒の多くは、卒業後が村を出てしまっている。取材当初は生死がわからなかった人物もいる。言葉は悪いが失踪人調査のようである。それでも著者は生徒全員のその後を調査してしまう。一人くらいわからなくても、作品の出来には影響ないのになぁとは思うのだが、そうしないのが佐野眞一らしい。
彼はこの作品の結論を、農業の荒廃と引きかえに達成されたのが戦後教育の高度化であり、教育の荒廃であると記している。教育問題を良く考えたことない私でも、彼の言うことが全てであるとは思えないが、ある一面は捉えているのではないかと感じられた。そして、著者の思い込みは感じられるにしても、大上段から机上の空論みたいなものを述べられるよりも余程説得力があった。
粘っこい文章と思い込みの激しさは好き嫌いが分かれるとは思うが、膨大な資料と格闘し丹念な取材を行うことによって成立した、実に著者らしい作品である。