人々が電脳化された近未来。少女型の愛玩用ロボットが暴走し、人間を殺傷するという事件が頻発する。それを捜査する公安9課の刑事バトーは、自らの脳にハッキングを受けるという妨害を受けながらも、真実に近づいて行く…。1995年に公開された『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の直接的な続編であり、押井守監督のアニメ作品としても9年ぶりとなる、全世界待望の1作だ。前作の主人公、草薙素子ももちろん“登場”する。
美麗なCGで彩られる画面の情報量も、サスペンス調の本筋を時に逸脱して語られる“禅問答”の量も、前作を遥かに凌駕。躊躇なく難解な一方で、バトーという寡黙なサイボーグに感情移入しやすい味付けがなされているのが今作のミソだ。そうして描かれる“未来”は、機械とネットに支配されながらもこの上なくウェット。それこそが、前作が提示した“人間とは、魂とは何か”という問いへの渾身の回答なのだろう。(安川正吾)
何故予習する?
★★☆☆☆
押井守作品をまともに観たのは「イノセンス」が初めてとなるんですが、どうやら最初で最後となりそうです。どうも根本的に合わなかったみたいです。
自分がこの作品で受けた印象は、能書きが続いて突然銃撃戦が始まり、そして静かに終わった。起承転結の「転」が抜けてやしないだろうか。作品自体の意味ではなく魅力が終始わからなかったです。
他の方々は攻殻など前作品観なきゃ意味がわからない的な事をよくおっしゃっていますが、なんで予習しなきゃいけないんですか?本当に面白い作品ならば途中からでも間違いなく見入ってはまれるものです。
この作品を満点にしてる人がかなりいる事自体に驚きを感じている時点でも自分が押井作品には向いていない事を更に認識しました。
攻殻機動隊だが別次元、別世界、でも攻殻機動隊。
★★★★★
他の方が書いてらっしゃるとおり賛否両論が多いみたいですが、そんなことはどうでも良く美しい映像、そして音楽を楽しむだけでも、この「イノセンス」に2時間弱を費やす意味はあると断言出来ます。
私が攻殻機動隊を初めて読んだのは17歳でしたが、その時は所謂少年漫画に馴れすぎており、正直読むのがやっと。
しかし、何度も読み返すうちに、段々この手の漫画に馴れアニメ版で普段テレビを見る目線、感覚で攻殻機動隊を見れるようになりつつあった。
そんな時、「イノセンス」が公開され、最初観た時はちょっと置いていかれた感があった。
でも、この攻殻機動隊の魅力は読む側を引っぱる、この世界に置いていかれたくないと思わせるところ。
そして、この「イノセンス」はそんな感覚を味わうには最適な媒体だと私は思います。
攻殻と押井守をよく理解していないと難しい
★★★☆☆
まずこの作品を見ようと考えている人に言いたいことは、他の攻殻作品をすべて理解してから見てほしいということだ。
この作品は劇場版Ghost in the shellの続編だが前作よりもさらに初心者にはやさしくない。少女型のセックサロイド
が暴走する事件は原作でもあったが、人形は気持ち悪いし話が重い。原作はもっと人形もかわいかったしストーリーも
明るかったのだが、押井守の志向が色濃く反映されている。いきなり電脳をハッキングされるシーンや作品で語られる
価値観などがわかりにくいのではないだろうか。
私はこの作品を攻殻シリーズ中一番最後に観たのだが、これでやっと面白さを理解できた。それくらい癖の強い作品
なので気をつけていただきたい。
贅を尽くしたショートストーリー
★★★☆☆
CGと音楽はとても良いです。
ただ、元にしたストーリーは劇場版に向かないのでは?
話の広がりも、見せ場になるシーンも少なく、
テレビシリーズの短編でもできるようなストーリーを
薄く延ばして、贅沢なCGと音楽をつけたと言った感じ。
(何もドラえもんのようなストーリーの超進化をしろとは言わないが、少なくとも劇場版とする物語ではない)
なので、見終わった後に「ふぅ。おなかいっぱいだ。堪能した」といった感覚が出てこず
「え?これだけ?」といった物足りなさが残る。
もっとも、劇場版前提ではなく、単なる1ストーリーとして見る分には十分すぎるほどの内容だと思います。
(攻殻機動隊特有の用語が理解でき、(嫌いな場合)押井節が華麗にスルーできる人に限りますが・・・)
コンピューターに嫁いだ人を想い続ける人の話?
★★★☆☆
人の体は常に代謝を繰り返して数年もあれば全てが入れ替わると言います、しかしそれでも自分が自分でいられるのは体の中にある記憶や経験は代謝される事なく存在し続けるからだとしたら肉体はひと時の借り物に過ぎず魂の器でしかない。
ゴーストと言う名の魂だけが個人を形作る唯一の存在だと仮定すると、魂(記憶)の全てを外部のメモリーに移せば人はコンピューターの中でも生きて行ける。
実際に草薙素子は体と言う器を捨てて膨大なネットワークの世界へ飛び込んでしまいます。
この荒唐無稽な押井流の解釈をどう捉えるかでこの映画の価値が変わってくる様に思います、私は正直言ってダメでした・・。
前作の攻殻機動隊に出てくる人間たちは既に生身の体を捨てた「人間の形をしたコンピューターの中に住んでいる人たち」でした、しかしそれでも映画として面白く魅力的だったのは草薙素子の美しく力強いキャラクターにあったと思います。
私は二次元のキャラに「萌える」タイプの人間ではありませんがやはりヒロインは美しいに越した事はありません、しかしイノセンスでの素子はデータとしての存在でしかなく画面の中は終始中年のおじさんばかりが居座り息が詰まりそうになります。
押井監督の考えでは草薙素子を主役に使えば「攻殻機動隊の二番煎じなってしまう、それだけは避けたい」と考えたのかもしれません、確かにイノセンスは前作の設定やキャラを使いつつも全く違う映画になっています、誰が見ても攻殻機動隊2ではありません。
しかしファンとすればやはり素子の活躍に期待していたのでは無いでしょうか? 少なくても私はそうでした。
ビジネスの為の作品であってもマンネリを許す事の出来ない押井監督は商業監督には向かないのかもしれません。