貴重な映像を楽しむだけの作品
★★★☆☆
フルトヴェングラーの演奏風景(プローベもある)、ナチスの映像、イメージとしての風景、インタビューで構成された、政治的存在としてのフルトヴェングラーの意味を探るビデオ。2003年にドイツで制作、放映されたテレビ番組である。
使用されたフルトヴェングラーの動画、音声は貴重だと思うし、オスカー・ココシュカが動いてしゃべる姿を見られたのは驚きであった。しかし作品自体は、素材の貴重さに比べてお粗末である。フルトヴェングラーは「音楽における」大ドイツ主義者であったが、ナチスにとっての(より普遍的な)大ドイツ主義に利用された。それは偉大な音楽家フルトヴェングラーの政治的失策ではあったが、無自覚な罪であり免罪されてよい、という趣旨に思える(ただし一応、形だけは両論併記になっている)。おおむねこの結論に沿って、彼とナチスとの関係について同じ事が浅薄に繰り返し語られるだけの、情報量の少ない作品である。
なお、インタビューに応じた人のうち、サイモン・ラトルだけが非政治的にフルトヴェングラーの音楽の偉大さだけを語っており、周囲から浮いている。制作者はベルリンフィルの現シェフであるラトルの名前が欲しかったのだろう。こんな使われ方をして、ラトルは何とも思わないのだろうか。