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True History of the Kelly Gang

価格: ¥2,435
カテゴリ: ハードカバー
ブランド: Knopf
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 「我々オーストラリア人にとって彼とは何なのか?」
   ピーター・ケリーの著書『True History of the Kelly Gang』の最後で、校長が尋ねる。
 「オーストラリアには、ジェファーソンやディズレイリのような人物はいないのか? まさか馬泥棒や殺人者以外に尊敬に値する人物がいないということはないと思うが」

   死後100年以上たつ今なお、ネッド・ケリーが人々の記憶に生き続けていることに対して複雑な思いを抱いている著者も、この校長には同感だろう。病的な殺人者とも義勇軍的ヒーローともみなされているネッド・ケリーは、警察の容赦ない追跡から2年近く巧みに逃れ続けた無法者で、射撃の名手だった。良しにつけ悪きにつけ、いまや彼はオーストラリアの伝説の一部となり得た。現にシドニーオリンピックの開会式は、アイルランド音楽に合わせて踊るケリーギャングをフィーチャーしたものだったではないか。つまり、カンガルーやオリビア・ニュートン・ジョンと並んで、彼はシンボル的な存在になっているのである。

   教養のない山賊の物語から、得るべきことなどあるのか? 読み進めていくうちに、答えはイエスであることがわかる。まず目を引くのが著者のナレーションによる風土色豊かな詩。力強さ、滑稽さ、文法を無視した文、アイルランドの伝説からの強い影響、開拓者たちの道徳律。この小説を偉大なものにしているのはこの「語り」であり、それはおそらく著者の輝かしい経歴の中でも最高傑作の部類に入るものだ。

   作中、開拓時代のオーストラリアの様子が鮮明に描かれる。国内の1等地をイギリス人地主たちが取り上げる一方、開拓者たちは政府から無償で払い下げられた土地によって、かろうじて飢えをしのいでいたという実情。ことあるごとに権力者から搾取され、だまされ、虐待され、植民地の統治者たちに不信感を抱き続けていたケリー。そんな彼の信じたものは、おかしな話だが、言葉の力だった。

ではかれらのはなしをするとしよう彼らオーストラリア人はきびしい「法」のこわさをいやというほどしっていたしながねんの「不平等」のれきしはだいだいかれらの血のなかにつたえられてきたかれが銀行員や農場監督だったらわけもなく逮捕されることはなかっただろうそれでも心のそこからわかっていたのは監獄で白いおおいをかぶらされるのはどんなものか看守と目があっただけでむちうちにされるのはどんなものかということ…不平等がなんであるかは骨の髄にしみるほどよくわかっていたのだ

   ネッド・ケリーが文学的ヒーローというのは妙な気がするかもしれないが、少なくとも著者の解釈ではそうなる。主に国民に宛てて書いた一連の手紙に胸の内をぶちまけているように、話を聞いてもらうことこそネッド・ケリーの望みだった。アイルランド系の罪人の息子で極貧の生活を送っている彼にしてみれば、それは本当に大胆な野望である。ケリーの物語がオーストラリアの人々の心に響くのも無理のない話だ。

   植民地支配を受けた国がどこもそうであるように、オーストラリアの建国は大勢の人の命と引きかえになされ、犠牲者たちの声なき声は人々の記憶の中に生き続けている。『True History of the Kelly Gang』の巻頭の題辞にはフォークナーの言葉が引用されている。
 「過去とは死ぬことではない。過去とは過ぎ去ることでもない」
   フォークナーが描いた、人々が土地を追われるあの物語にも見られるように、過去には悲劇がつきまとう。歴史そのものがそうであるように。

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