本書は、近代日本の成長を「後向き」として支えた炭坑婦たちに聞いたインタビュー集。登場する48人の生年は、最年長者が1898(明治31)年、若い人で1928(昭和3)年。取材はおおむね80年代末のバブル最盛期に行われているから、当時の年齢でいうといずれも60歳から90歳ほどの、「昔、山に下がった」お婆ちゃんたちということになる。
「ボタ山」はすでに死語である。炭坑自体が今はほとんどない。にもかかわらず、本書が意外な「今」を感じさせるのは一体なぜか。
「炭坑問題」がすでに歴史化したという「時の流れ」は確かにある。しかしそれよりも、「何でん来い。負けんとよ」という筑豊方言に象徴される女たちの生への強い肯定感が、「今」が抱える精神的な飢餓感や生命感の衰えを、強く揺さぶるからではないだろうか。
著者はカメラマンであり、個々の語りの冒頭には先行者を慈しむかのような、女たちの柔和な記念の顔写真が配されている。時折混じった写真のない匿名希望者たちの不在感とあいまって、かつて「後向き」として生を刻んだその顔からは、女性史や社会労働史といった観点では出てこない、人間の持つある確実な連続性が感じられた。それをあえて「美人」とシャレる著者の気持ちには、いささかの嘘もないのではないか。(今野哲男)