差別も苦労もあったが、彼は恵まれていた。家庭は愛情と信頼にあふれ、人々は助けあう時代だった。親元を離れてひとり白人の農場で働いたが、父は絶対の信頼感をもって彼に人生を教えた。成人した日。
「おい、独り立ちする用意はできているのか?」
「ああ、父さん、できてると思う」
「よし」
それからの数年間、運試しのアメリカ縦断ひとり旅はスリル満点だ。最初の妻を口説くシーンも彼らしい(彼は4回結婚した)。子どもたちは成績優秀だったが、高校のときに聞かされるまで、「父さんが字が読めないなんて知らなかった」という。
100歳を過ぎた今も、彼はユーモアと楽観主義を忘れない。「彼らは、わたしが読みかたを習う日をひたすら待って人生を送ったと思っている。ぜんぜんちがうんだよ。わたしは、自力でどうこうできないことについては考えなかったんだ」。
“People worry too much. Life is good, just the way it is.(わしはみんなに心配するなと言っているんだ。人生っていいもんだよ、今のこのままで)” (家永光恵)