多言語VS究極の唯一言語
★★★★☆
面白かった!
通訳サービスの責任者である主人公は、多言語通訳者の部下から謎の「言語」を感染される。職場を解雇され、言語クリニックに入院するとそこでは不可解な言語治療が行われていた。部下を追ってクリニックからでると犯罪に巻き込まれ逃避行。最後には人間の言語にあきたらず...
一言で言えば不条理な巻き込まれ型のストーリーなのだけど、ちりばめられた「言語ネタ」が可笑しい。エスペラント語のテープの使い道とか。
著者自身通訳なのもあって、「風変わりで不健全な人種」通訳の混乱ぶりや神経症的強迫観念についても面白可笑しく書いている。
言葉というものは共通の文化がなければ育たないと思う。だからこそいろいろな言語を学ぶのが面白い。様々な文化にふれることになるから。
でもアイデンティティが言語に負うところが大きいのであれば、文化(日常)と切り離して多くの「道具としての言葉」を脳内に取り込むと、アイデンティティを見失う可能性はあるのかも。
ある男の破滅の物語だけど、言語をネタにした笑える本。
言葉というトラウマと安息
★★★★☆
言語特有の好悪 強弱 規則は話者を内面から固めていき トラウマにも攻撃性にもなりうる 「バべルの塔」は罰ではない 趣味 行動様式 利害の協力と自律性のある人間同士が
賢明に快活に 生きのびるための住みわけである
二十世紀は夢も資格も開放されすぎて 自分を壊すような異質さえ吸収しようとしてしまう
「文学は生まれや育ちが不安定な人間が自分の言葉を育て 異界とつなぐ行為」
文学は狼の遠吠えのような野蛮な殺意でも井の中の蛙の悪口大会でもない
新しい異質は自分を傷つけることもあるし 新参者は適格かどうか試され
厳しく探られる 共同体に持ち場がないとみなされれば居場所はない
大人になるということは他者を習得することだが
自分らしい共同体にしか安らぎはないのだ
コスモポリタンであることは何と難しいのだろう
各共同体には固有の本音 建前 推奨(尊敬) 無理解(抹殺)がある
学習に長期間かかる方が普通だ
多様な生き方を巧みに渡り歩ける方が珍しいのだ
強く長い環境は 寒暖も空想も目標も追いつめ方も 人に植えつける
そういえば さまよえるエリザべート皇后の息子ルドルフも従兄弟の
ルートヴィヒも 神経症で 多言語使用者ではなかったか
ルートヴィヒの日記は何ヶ国語も入り混じっていたという
本書は多言語使用者で発病したケースの追い方が あまりにも
乱暴だった 国際結婚でのトラブルも増えている
「バダルプルの庭」ではインドの藩王とトルコ皇女との あいだに
生を享けた著者が 生まれ育ったパリでいつも疎外感を抱えていた
「異文化間で発症する神経症」は もっと掘り下げるべきである
傑作!
★★★★★
通訳者である著者が、通訳者監督者が部下の通訳者の不可解な行動をフォローするうちにチェイスして、しまいには内在化までしてしまうような気分にまでなるという、精神的にはかなりグロいサイコ・サスペンスです。
言語学に興味があれば楽しさが数倍にふくらむことでしょう。通訳を生業とする人間に関する決めつけ的な記述は本当に最高に痛快で最高なのですが、では、どういった人達がどういった経緯で通訳者になるのか、といった背景論的な部分が甘いので知的でありながらそうでない、という自己矛盾もあって、好き嫌いの別れるところなのでしょうが、自分はかなりいいと思いました。
用語について一言。通訳という表現は辞書で調べると「通訳業務」と「通訳者」のふたつの意味があると書かれていますが、後者の場合、通訳者、通訳士、通訳官といった用語が日本語的にはどうなのか、というところを調べて使って欲しかったです。読んでいて通訳業務のことなのか通訳者なのか判断に困る部分が複数あります。
先が読めない面白さ
★★★★☆
著者はEU理事会の通訳・翻訳官という肩書きを持つ。
こうした仕事を持つ人たちを、母語でない言葉を操るプロ、と尊敬している。
今もその気持ちに変わりはないが、この小説を読んでいると、多くの言葉の中に放り出され、もがいている姿も見えてきた。
常に他者、外国語、異文化、を距離感を持って、言葉を使っているはずが、いつの間にか、混沌の中に入ってしまうさまに何ともいえないスリルを感じた。
ラストに主人公が行着く先は、意外。面白い。
通訳というはかない一瞬に全体が遠くかすかに現れるのが聞こえるんだ!
★★★★☆
最近は不必要に長大化、冗長化し技巧に走り過ぎ滑稽ともいえるサイコサスペンスが溢れています。そんな状況下で本書はコンパクトですがその走行は非常に駆動力/機動性能の高い良品です。大掛かりな仕掛けや奇異な人物像をこれでもかと強調することを必要とせずに、日常に潜む恐怖や理解できない世界像を描き悪魔的な欲望をかきたてるのに成功していると思います。園芸が趣味で温和で凡庸ともいえるスイス人主人公が狂気にさらされ本能のままに生きる一種の催眠状態(「カルパチア版ボニー&クライド」です!)に至るさまは見事です。さらに感染性?言語障害?の謎とそれに絡んだ陰謀の解明もなかなか小粋/小癪にきまってます。
プロの通訳でもある作者は多言語話者のことを「不実でいんちきな早変わりの喜劇役者、疎外の綱を渡る軽業師」とし言葉を自在に操るサーカス芸人のような彼らのことを「神に挑戦し、悪ふざけとうぬぼれから、狂気の淵をのぞきこんでいた」などと表現するあたりは実経験もあり独特で秀逸です。--はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき--という文面なども即座に想起されたり言語に対する示唆に富み、言語と社会・個人との関係などの洞察も呼び起こしてくれます。匂いもキーとなっており主人公の情動面での暴走も含めて古い/旧い脳機能に対する探索の物語といえるかもしれません。(ミュンヘンの言語療法クリニックの描写もおもしろく重度の異言症の方のためには日本語による隔離療法もございます)