言語権はエスペラントを擁護できるか。
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本書は「言語権」について論じた本なのであるが、執筆の中心メンバーが複数のエスペランティストであるので、言語権にエスペラントをからめて論じているという点がユニークであり、類書には無い特徴となっている。
ただし、この本の元となった言語権に関するシンポジウムにおいて、エスペラントをやらない聴衆から
「エスペラントと少数言語を言語権で結ぶ立場がよくわからないんです。エスペラントは元々国際共通語として通用しなければエスペラントの意味がないはずなんで、そこのところをなぜ強調してエスペラントの必要性を説かないのですか」
という、まことにもっともな質問が出ているのだ(本書70ページ)。
あっさり言ってしまえば、エスペラントを使う人が多ければ、言語権なんてものが無くたって世間の人たちはエスペラントを認めるだろうし、逆にエスペラントを使う人が少なければ、いくら言語権という概念が社会に浸透したとしてもエスペラントは認められないということになると私は思うのだ。
つまり言語権というのは、あくまでも「民族の文化や歴史」を有する民族語(自然語)のための権利であって、人工語を保護することを念頭においているわけではないということだ。
もちろん、エスペランティストが言語権をエスペラントとからめて論じるのは自由である。
しかし今のままでは、エスペラントをやらない(圧倒的多数の)言語学者たちは、言語権について考える際にはエスペラントを考慮しないだろうと思う。
ということで、本書は言語権について知るのにはとても良い本だと思うのだが、(執筆の中心メンバーたちが意図しているに違いない)エスペラントに対する理解を得ることには成功していないのではないかと思う。
やはりエスペラントの復権には「理論」や「理念」ではなく「話者の数を増やすこと」が必要不可欠なのだ。