インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

パイドロス (岩波文庫)

価格: ¥756
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
Amazon.co.jpで確認
イデアへのベクトル ★★★★★
『饗宴』でエロース(愛や恋)についての話題を提供した張本人パイドロスがそのまま表題となっている本書はやはりエロースをテーマとするが、専らそれのみが扱われ、そしてその定義が打ち立てられる『饗宴』と異なり、本書はそれを弁論術と連続させると共に、その起源が見出される。

真実在(イデア)を想起して起こるエロースとイデアの追求が目指される哲学は実は根本を同じにするのであり、弁論術もそれと同じベクトルを持たねばならない。なぜなら、真実そのものを知るもののみが真実らしいものとの差異を知るのであり、真実の把握なしには真実らしいことを語ることなどありえないからだ。

弁論代作人(ロゴグラポス)の存在が示すように、弁論は話すことだけでなく話を書くことも含まれる。しかしものを書くことはものを思い出す際に書かれたものに頼って、自ら思い出すことを閉ざしてしまう。そして書かれたものは何か質問をしても同じことしか発しない一方的なものであり、またそれを理解する人、理解しない人にあまねくゆきわたってしまう。他方、話すことは話すにふさわしい人に自らの内で精錬された知識を与え、そこからまた新たなる知識が生まれるのであって、そこにこそ哲学の拠り所があるのだ。このことは哲学のみならず文学を考える者にとって避けて通れない問題である。

弁論術をテーマに人生いかに生きるべきかをテーマとする『ゴルギアス』と合わせて本書は読まれたい。
知を愛するということ ★★★★★
このパイドロスは、プラトンの著作の中で最も重要なものである。
田中美知太郎氏は、プラトンは最も大事なことはどの著作にも記してないといっている、と語っているが
このパイドロスから推測することは十分可能であると思う。

なにか新しいことを知ったといっても知識が一つ増えるだけであり、新しい発見など何もない。
その意味で、世に知識人とかインテリとか言われている人間は、智慧の「ち」の字もない。
そんな人間が慢じた姿で闊歩し、世の中でも尊ばれているのが古代ギリシャから変わらぬ真実である。
雄弁は説得のためのものであり、ディベートに至ってはいいくるめの術である。

信じ合っている物同士、愛し合っている物同士が心を開いて対話する、
その対話の中に閃光のように智慧がひらめく。

問いを発し、それに答えるこの対話はまた、自分一人でもできる。
自問自答である。

これが哲学と言うことであり、智慧を愛するということであり、よりよく生きるということである。

その模範、精髄をここに我々は見ることができる。



本質を掴む ★★★★★
プラトンの著作を読むならまず“ソクラテスの弁明”から入り、次にこの作品(あるいは“ゴルギアス”)をお勧めします。この作品は“国家”という超大作の後で、プラトンがもう一度シンプルに己の哲学の要諦をまとめ直している−という感じがします。

短い作品ながらも内容は充実しています。 “恋は、恋する人よりも恋される人のほうが得をするのだから(傷つきもしないし、それなりに楽しめるから)、そういう恋愛をすべきだ”という何やら現代社会でまかり通っている様なドライな恋愛論に対してソクラテスが反駁を試みる−という所から始まります。 プラトンの作品の卓抜な点は、四角張って倫理道徳を説く前にまず、全ての人が感じているこの世の矛盾にするどく切り込んでいくところにあります。 その突っ込みの大胆さにはワクワクする様なスリルがあります。 そしてその様な得だの損だのと言った技術論よりも、本当に物事の本質は何か−に思い至らなくては善い生活を送ることはできない−という基本的な主張に収斂していきます。 何やら精神論的な匂いが強くていやだ−という人も居るでしょうが、私は処世のテクニックばかりが云々される今日において、何をするにもやはり心構えとして持っていたい立派な人間の精神遺産だと思います。 読んでみてください。
真実在、イデアの感得 ★★★★★
とても感動的な作品です。
夏の日のさわやかな自然の情景のなかでおこなわれるこのパイドロスとソクラテスの対話は、他の対話編には見られない独特の味わいがあります。

ミュートス(物語)が本書の真ん中におかれていて、真実在、イデアを感得するうえでの「エロース(恋)」の重要さが説かれています。
このミュートスの中には転生に関する話が含まれていて、この転生理論はピュタゴラス学派との関連もあるのかもしれません。

魂の三部分など、「国家」での説明とはまたちがった定義の仕方が出てきます。
「国家」が理論篇だとすると、このパイドロスは心の琴線にふれて憧憬を目覚めさせるような作品であると思います。
本書後半は、弁論術についてが表立っての議題になり、真に何かを知っているということが意味することが対話の中で調べられます。

読んだり書いたりするだけで、わかったつもりになる知識人根性について痛切に批判がされています。知るということがその人の存在にかかわることであることをはっきり認識していたプラトンならではの表現であると思います。