象徴天皇制は共和制封じの罠だったかもしれない
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本書は大戦の最中から大日本帝国崩壊後の新たな日本の統治体制について米国側で周到に準備されていたことが史実に即して説明されている。
当然のことだが、勝利した側はその後の自分たちの利益にもっとも合致するような選択を敗者に強制するであろう。象徴天皇を利用しての日本統治がどのように米国の短期的・長期的利益に合致するのか。
短期的には玉音放送を利用した皇軍(天皇の軍隊)の武装解除に始まる占領行政の円滑な推進にあったことは言うまでもない。
こうした政策決定は開戦直前まで駐日大使をつとめていたグルーの十年にもわたる緻密な調査活動、さらには文化人類学者をはじめとする研究者たちを動員した日本の社会文化の徹底的分析に基づいて行われていた。
肝心なことは1945年の大日本帝国の崩壊によって薩長主導の王政復古体制は完全な失敗に終わったことだ。近代天皇制は終焉したのである。傲然と腰に手をあてがっているマッカーサー連合軍最高司令官とその隣に直立不動で立つ昭和天皇との有名なツーショットがすべてを語る。
象徴天皇制は右と左を欺くとんでもない詐術なのではないか。無いものをあるといいくるめるトリックというわけだ。近代天皇制は終焉し存在しないのに、あたかもなにがしかの実体があるように見せかける。それはもっぱら占領軍=アメリカがこれを利用するためにのみ存在するのだ。
大東亜戦争はまさしく皇国(天皇の統治する国)の皇軍(天皇の軍隊)が主導した戦争だった。現人神(あらひとがみ)を最高指導者に仰ぐ戦争だったのだ。だが、昭和天皇は占領軍=米国によって免責された。天皇の戦争責任を不問に付したのである。天皇をもっぱら政治的に利用するために(のみ)。
勝者が最もおそれることは何か。それは敗者の精神的自立であろう。悲しいことに戦争の最高指導者が免責されることによって敗者の精神的自立の契機が失われた。
以上は本書が集めたデータに基づいた評者の読後感想である。