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Our Posthuman Future: Consequences of the Biotechnology Revolution

価格: ¥1,959
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Picador
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世の中終わらせたいんですかね。 ★☆☆☆☆
生きたい人も居るのに強制的にみんな道連れで終わらせたら、
それこそ無理心中だの大量虐殺だので倫理的にどうかと思うけど…。
そんな事より新技術をどうやって安全に使いこなすかを考えた方がずっと建設的。
現代人の必読書 ★★★★★
現代人の必読書だと思います。これほど「人間性」、「科学」、「人間の未来」について明確な論旨で書き表した書物は少ないのではないでしょうか。フランシス・フクヤマ氏には全面的に共感します。共同執筆なのでややトーンは穏やかになっているものの「治療を超えて」(レオン・カス氏らとの共著)もぜひお勧めします。
私は、理系の論者はバイオエシックスを「手続き上の問題」に矮小化しようとする傾向があり、フクヤマ氏含めたいわゆる文系の論者は人間の根本的なあり方から議論を構築する傾向があるのではないかと感じています。
なぜこのように分断されているのか。これでは、議論を重ね有効なコンセンサスに達するための基盤自体がかけているような気がします。そうこうしているうちに利害関係やら思惑やらに動かされて技術だけが独走する、という気がしてなりません。人間として今最も真剣に考えなければならないのは「環境問題」と「人間の命=バイオエシックス」の問題なのではないでしょうか。
バイオテクは人間という種の境界を乱しうるか ★★★★☆
 クローン胚の作成、遺伝子改変技術、生物兵器への転用・・・。近年では、多くのバイテクノロジー考察本が出版されているが、本書の大きな特徴として、バイオテクノロジーの技術革新に伴う漠然とした不安感が、一体何に基づくものなのかを「人間性」に論点を絞って考察している点が挙げられる。
 人間性というとあまりに抽象的過ぎる概念ではあるが、本書では、知識、文化、慣習・・・、あらゆる人間の多様な面を全て除去した後も残る特性、と定義する。これこそが、人間が他の動物と「一線を画す」るものの根拠であるという前提で話が始まる。
 なぜ、何の知識もなく、行動も自発的に行えないような人間の胎児には種々の権利が与えられ保護されるのに、チンパンジーの成体にはそのような権利が与えられないのか? そのような疑問はこの人間性に基づく境界線引きがポイントとなる。本書では、この境界線を引く、という行為をさらに拡張し、今まで人間という種全体を囲み、その外に他の動物を置くことで、人間の平等性が暗黙のうちに理解されてきたが、遺伝子改変などの技術により、人間種内での新たな境界線引きが行われる(例えば遺伝子改変による知能の向上、新生児の産み分け)ことが、バイオテクノロジーの「不安感」の元になっていると考察している。
 人間という同一種内での新たな境界を設けることが言い知れぬ不安感と嫌悪感をもたらすというこの主張は非常に興味深い。
 また、技術が政治と無関係には進歩できないという第2章の考察部も、いわゆる「理系一般」のバイオ論には見られない面白い考察となっている。
 
 
 
科学が人間性を侵食する ★★★★☆
本書の批判に晒されているのはいわゆる「生命科学」と呼ばれているもの。フクヤマはこの分野の「行き過ぎ」に一定の危惧を示しています。
といっても科学技術に断固NOを突きつけているというわけでもないです。副題が邪魔ですが。

フクヤマは脳科学、神経薬理学、生殖技術、遺伝子工学などの研究成果を踏まえたうえで、それらが乱用されるとどうなるかということをざっと概観します。当然ひどいことになると思っているようです。行動が社会の都合のいいように操作されてしまう、社会秩序が脅かされてしまうといったところでしょうか。
そして遺伝子工学の発展により、人間の生殖系列に人為的な介入が大手を振って行われるようになれば、今の人類とは異なる新種の人類が登場する可能性を否定できない、そうなると世の中はいよいよトンでもないことになる、と訴えます。
フクヤマの提案は、要するに、変えてはならない人間性というものがあって、それが社会秩序や道徳の基礎となっているのだからこれに手を加えてはならない。取り返しのつかない事になる前に、きちんと科学技術の動向を見極めて適切な進路を選択できるように、公的な管理機構を作ろう、というものです。

科学の進む方向を制御できるかどうかはともかくとして、この提案自体は至極まともなものに思われます。やはり科学は諸刃の剣ですから、専門家のみならず市民の一人一人が真摯な批判の眼差しを注ぐべきでしょう。フクヤマの意見に賛成するか否かは別にするとしても、科学・技術にもっと注意を注ぐべきということはとても大切な指摘です。何が恩恵をもたらし、何が災厄を招くか。その見極めこそが肝要です。愚かな扇動家がよくやるように、科学をなにか恐ろしいものに仕立て上げて一律に否定し去るのは知的な怠惰であると言わざるを得ません。

科学・技術に対するわれわれ市民の無知と無関心こそが最も恐ろしいことである。そのように思われます。
人間とは... ★★★★☆
(本書の副題に反し)バイオテクノロジーの危険性そのものが中心テーマではありません。それよりも例えば、「抗鬱剤プロザックに副作用に全く害がないことが判明した場合、これを鬱病でない人が、『正常なふるまいをよりよくするために』服用することは、妥当なのかどうか」といったもっと身近なところが、問題意識の出発点です。結局のところ、「人間性」を重視し、規制を強化すべきというのがフクシマ氏の立場ですが、この「人間性」とは何かについての(長い)哲学的、倫理学的議論は、予備知識のない私には正直キツかったです。しかし、全体としての主張の流れははっきりしており、「人間とは何か」について改めて考えさせられました。