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自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)

価格: ¥1,071
カテゴリ: 単行本
ブランド: NHK出版
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:東浩紀/著 大沢真幸/著 出版社名:日本放送出版協会 シリーズ名:NHKブックス 967 発行年月:2003年04月 関連キーワード:ジユウ オ カンガエル キユウ イチイチ イコウ ノ ゲンダイ シソウ エヌエイチケー ブツクス 967 じゆう お かんがえる きゆう いちいち いこう の げんだい しそう えぬえいちけー ぶつくす 967、 ニホン ホウソウ シユツパン キヨウカイ ニホンホウソウシユツパンキヨウカイ 6023 にほん ほうそう しゆつぱん きようかい にほんほうそうしゆつぱんきようかい 6023、 ニホン ホウソウ シユツパン キヨウカイ ニホンホウソウシユツパンキヨウカイ 6023 にほん ほうそう しゆつぱん きようかい にほんほうそうしゆつぱんきようかい 6023 9・11以降、人はセキュリティと引き換えに自由を権力に譲り渡し、動物のように管理されようとしているのではないか。「安全」を求め
7年前の本だけど、民主党政権の現状を見越したような洞察 ★★★★☆
「柚木涼香と東浩紀の動物化してもいいですか(はぁと) 」ですっかりオタクの有名人になったあずまん。大澤真幸氏との3回の対談を通して、自由を無くした時代の自由を考えて苦悶する。

権力はどこへ向かうのかでは、9.11テロとその後のテロ戦争を受けて、権力と自由を見つめ直す。セキュリティを強化する権力に対して、「自由を奪うな」というスローガンを掲げるサヨク。この自由は「犯罪の自由」でしかないと苦悩。

身体に何が起きたのかでは、ケータイ、オウム、酒鬼薔薇聖斗、スター・トレックを通して自由を考える。自由を求めて権力に対抗してきたはずの人間が、欲望の極限で逆に自由を無くした矛盾に苦悶する。

社会は何を失ったかでは、欲望に貪欲な動物化した人間の自由と平等、民主主義について考える。選挙権が一人に一票というのは、人間を群集として扱っている。

オタク、社会学、自由と平等を求める左翼、友愛はまっぴらだという右翼にも知的興奮をかきたてる。出版から7年。ツイッターと民主党の登場を見越したような洞察には恐れ入る。
いろんな楽しみ方ができる。 ★★★★★
非常に面白い対談である。

すでに数々のレビューで紹介されているので、本筋には
あまりふれないつもりだが、この本の中心的な内容は
大澤真幸氏による「あとがき」でうまくまとめられている。

「(ベルリンの壁が崩壊し)われわれは、壁のない社会が到来
するだろうとの期待を抱いたのだ。・・・(だが)・・・われわれが
手に入れたのは、無数の―偏在する―不可視の壁だったのだ。」

つまり、「自由を奪われている」という意識を与えないで、
実は「自由を奪っている」かもしれない今の社会の恐ろしさ
について論じている。

本筋の話も非常に興味深いのだが、この対談を通じて
東浩紀氏の思想・哲学のあり方に対する考えかたが
たびたび見えるのが非常に面白かった。

「自由」ってなんだろう・・・と考えはじめるのに、
大きな一歩となる良書である。
パラドキシカルな視点にあふれた現代世界分析 ★★★★★
斜め読みではあるが、なかなか面白い。9.11以降の社会の実態を照射するような発見やパラドキシカルな見解にあふれている。イラクとアメリカ・イギリスの戦争については、米国は主要な敵を原理主義者と見ているが、そのような原理主義者を完成させるのはブッシュ・ドクトリンに基づく政治的・軍事的行動にほかならないという点で「アメリカの勝利こそがアメリカの敗北である」であるといえ、これこそブッシュ・ドクトリンの究極のアイロニーであるとか、イラク戦争を通じて「夜警国家」のような「最小国家(minimal state)」は最小ではなく、それどころか最小国家ほど大規模な国家はないかもしれないとか、「9・11」の月と日を入れ替えるとそれはベルリンの壁が崩壊した「11・9」(1989年11月9日)になるが、「11・9」以降(冷戦期に外在する敵を恐れてきた)人々は、壁のない社会の到来を期待したが結果的にいたるところに壁がある社会を手に入れることとなったとか、その壁が今日保守しているのは、冷戦の時代に存在した壁が思想に規定された体制の選択に基づくものであったのに対し「内なる敵」からの危険を回避する「安全な生活、快適な生活」であるとか、なかなか読ませます。

東浩紀再考 ★★★★☆
 デリダ論から出発してオタク評論家になったと見なしていた東浩紀がマトモな評論家であったことを知って、彼を見直そうというきっかけになった本。ここでは大澤真幸の議論に付き合って一歩も引かず、かつさりげなく過剰に弁証法的思考に傾く大澤をいなしているのは見事。
 二人の問題意識は重なっている。権力というものを、ジョセフ・ナイのいう「ソフト・パワー」(要は洗脳)という観点から捉えている。つまり、管理されていると感じさせない管理が最高の(つまりもっとも危険な)管理である、ということで、これは生命学の森岡正博の「無痛文明」にも通ずる考え方で、現代知識人が関心を寄せるテーマは同じようなことなのだ、と感心した。
 しかし、残念ながら、「どうして自由が必要か」という最後の問いに、両者ともうまく答えを見いだせないいらだちを、浅羽通明が「安全の方を自由より重んじる人間は自由を捨てたらいい」と切って捨てているが、この指摘は説得力があると思われる。敢えてこの批判に対して二人を弁護するとすれば、現代社会においては、全員が合意しないと成り立たないことがあるのであって、各自が選択の自由を必ずしも持てるとは限らない、つまり、安全を担保するためには、全員が「自由を捨てる」ことに合意する必要があるのだ、と返答することになろう。
 エキサイティングな討論であることは確かである。
考えるためのきっかけ ★★★★★
かつて、価値判断の基準となり、物事に意味を与えてくれるようなものが存在し、人々がそれを共有していた。近代以降、そのような存在が失われつつあり、冷戦構造の崩壊後それが顕著になった。
この帰結として、社会秩序を維持するための手法が変化した。従来の、教育による内面からの管理から、環境を管理することによる手法が主流となりつつあるのだ。
以上の現状認識にもとづき、この変化によって得られるもの/失われるものについて、想像力をめぐらせるきっかけをこの本は与えてくれる。考えるためのフレームワークを提示するには至っていない。フレームワークの構築には従来の「自由」概念の再構築が必要なのではないかということが提案されている。