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フーコーの穴―統計学と統治の現代 (明治大学社会科学研究所叢書)

価格: ¥3,240
カテゴリ: 単行本
ブランド: 木鐸社
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「健康には限度がない」 ★★★★★
4章「健康包囲網ー高血圧の定義に見る統計」が秀逸。医学書ではないので4章は病気に関する定義を確定することが目的ではありませんで、話は「予防医学のストラテジー 健康には限度がない」(p.118)というあたりに突っ込んでいきます。4章の結論は《社会の「住民population」である医療サービスの受け手は、統計によって定められた病気と健康の定義にしたがって、自分の生活慣習を改善し、健康を管理することを強いられる。二一世紀は、健康が文字通り人の財産となり、終わりなき健康を死ぬまで追求しつづけるよう駆り立てられる、際限のない時代になるのだろうか》(p.123)。

 後の監視社会に関する考察で《監視の主体や目的そのものが一元化されない反面、ネットワークによって横断的に、予測できないしかたで結びつくために、いつ、どこで、何のために監視されているのか、あるいはそれがいいのか悪いのかといった価値判断が、容易にはできないのである》(p.255)、《自己責任や自己管理という形での個人の「活用」は、新しい統治のテクノロジーが持つ大きな特徴である》(p.256)という、少なくともぼく個人は深いリアリティを感じる言葉につながっていきます(そうか、自己責任うんぬんというのが、やたら最近いわれているのか、統治のテクノロジーなんか、みたいなのも含めて)。
ミシェル・フーコーが世界を見れば ★★★☆☆
著者はミシェル・フーコー研究者である。著者がフーコーをどれほど愛しているかが本書から伝わってくる。内容は新鋭の学者らしく幅広い対象の分析を試みている、デュルケム論、福祉国家と保険、高血圧の定義に見る統計、正しく測るとはどういうことか?、プロファイリングの現在、GISといった一般的にはなじみがない目次が並ぶ。一見それらに共通点を見出すのは難しいのであるが、フーコーがこだわった正常と異常の境目ということに注意が向けば、本書の根底にも、それと同じものがあることに気づくであろう。この世界にあるものがカテゴラライズされるその分岐点はなんであるのか。その検証のためにまず社会とはどういうものかという視点でデュルケム、さらに「測る」ということの考察といったようにそこに関連性があることがわかる。
しかし全編が書き下ろしというわけではないので、一冊としての一貫性には欠けるように思える。それぞれの章の完成度は高いのでより部分としての論題に関心がある人に薦められる本である。