本書のモチーフは、横溝正史が『八つ墓村』でも取りあげた「33人殺傷事件」。第6回日本ホラー小説大賞受賞作『ぼっけえ、きょうてえ』や『岡山女』などで、「岡山」という地を怪談の主要な舞台に設定してきた著者が満を持して挑み、作りあげた身も凍る物語だ。
精神を病む辰男の叔父・仁平、村一番の金持ちで、村中の女たちと関係をもつ泰蔵の妻・モト、複数の男たちと交情を重ねるみち子、辰男を慕う10歳の治夫、村人からバカにされている虔吉。辰男自身を物語の主役とはせず、殺される運命の村人たちの日常を淡々と積み上げていくことで、著者は辰男という「鬼」を形作る。その姿は、貧困、放埓(ほうらつ)な性慣習、ゆがんだ家族関係といった村人たち自身の業をもあぶりだす。彼らを殺戮(さつりく)するのは、必ずしも辰男ではない。終わりなき日常を象徴する「月」と、因習に塞ぎ込まれた村人たちの妄念を吸い続ける「森」だ。
推理作家の松本清張は、「33人殺傷事件」を検証した『ミステリーの系譜』の中で「日本の山村のもつ宿命の中に起こった」と書いている。「殺人という異常な反社会的な事態は…周囲の平和的な情景描写の対置によって、凄惨な効果をあげる」という清張の指摘は、本書の恐怖の構造にも通じる。村人たちの平穏な日常が恐怖に転じたとき、読み手もまた彼らが味わった恐怖に出あうことになる。(中島正敏)