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日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?

価格: ¥1,050
カテゴリ: 単行本
ブランド: 平凡社
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:C.ダグラス・ラミス/著 まや・ラミス/訳 出版社名:平凡社 発行年月:2003年11月 関連キーワード:ニホン ワ ホントウ ニ ヘイワ ケンポウ オ ステル ノデスカ にほん わ ほんとう に へいわ けんぽう お すてる のですか、 ヘイボンシヤ ヘイボンシヤ 7600 へいぼんしや へいぼんしや 7600、 ヘイボンシヤ ヘイボンシヤ 7600 へいぼんしや へいぼんしや 7600 第9条を捨てることは、他国の人を戦争で殺す権利を自衛隊に与えるということです。これは、日本国民が、ほんとうに望んでいることでしょうか。まだ間に合います。もう一度、ここで考えてみませんか。 1 新しい憲法2 「現実主義」について3 九条にはなんて書いてあるの?4 日本国憲法は、「押しつけ」られたの?5 失われた宝?
まず日本国憲法を理解し、この本を読もう。 ★★★★☆
ラミス氏の著書を読む前に日本国憲法を一度読み、日本が犯したアジア侵略と惨敗の反省から生まれた現平和憲法の意義をきちんと理解してほしい。
また、帝国陸軍(関東軍)の行ったアジア民族虐殺と暴力については陸軍自身の記録映像もある歴史の事実であり、責任を認めたくない(犯罪に加担し生きながらえた)政治家の自己保身のために歪められた歴史認識を全世界が軽蔑して報道しているのを知らなくてはならない。
国際紛争解決と言う名の軍事介入は常に市民虐殺をともなう。現憲法がアメリカの軍事目的に合わせて自衛隊法などが付加され改ざんされたこと、憲法が遵守されなかったことこそが政治問題だということだ。まるで犯罪者を守るために法律を変えるような話だ。
日本国憲法とは ★★★☆☆
マレーシアがイギリスから独立すれば新憲法を制定する。
インドネシアがオランダから独立した時も、ベトナムがフランスから独立した時も同じである。
国際法上違法に強制的に押し付けられた憲法、しかも日本人の女子供を何十万も焼き殺したアメリカ人が10日程度で適当に作った憲法をありがたがっている惨めな国は、『世界史上で日本ただ一国だけ』。
憲法守って国滅ぶ(民族もね) ★☆☆☆☆
今日、自らの安全は自らの力と英知によって守ることが世界の常識であり、現実の姿でもあるにかかわらず、日本においては軍事アレルギーが今なお根強く、自らの防衛に関する議論や実行動において著しく非効率なことが日常的事態となってしまっていることは、日本の国、あるいは日本国民全体にとって大きな社会的不利益と考えざるを得ません。

自分の身を自分で守ることを放棄したものが尊敬されることはないのです。

9条含む憲法全部の廃棄の必要を痛感する ★☆☆☆☆
日本は平和憲法の名の下にこれまで朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク占領戦争などに米軍の従属的支援者として参加し、無数の他国の民衆を殺してきた。

この自称「平和憲法」さえなければ、これまで日本は一人も殺さずすんだのに、この押し付けられた占領悪法のおかげで、途方もない加害者、殺人者になり、戦前に引き続き人類史上の巨悪となっているのである。

日本がもし、スイスのように自主憲法と徴兵制を実施し、市民一人一人が真に自分の命を賭けるべき交戦のみを自らと国家に課していれば、
これまで誰をも殺す必要はなく、朝鮮やベトナムやイラクの戦争など参加する必然もなかったことは明白である。

だが、この平和憲法という奴隷の律法によって、自分が殺人者になっている事すら気がつかないのである。

奴隷は盲目である事によって、自らの判断に責任を負わない。
そして奴隷であり続けるために盲目に映る幻影に逃避し、自らが奴隷であり盲目である事から目をそむけつづける。

子どもと語る平和憲法 ★★★★☆
総ルビの大きな活字で組まれた、絵本仕立ての小さな本。
だが、所謂「子ども向け」に作られたものというより、分かりやすく内容を噛みくだいて伝えることで、大人たちと子どもがともに(対等に)読みつつ考える立場を自覚させるための一冊となっている。

著者はまず、日本国憲法第九条を否定=改憲しようとする人々の主張を拾い出し、そうした意見が現在、多数のものとなりつつある現状を紹介しながら、《わたしたちがいま何を失おうとしているのかについて》考えることを語りかける。
人々の実感としては既に過去のものとなって久しい「戦後」という時空を再検討し、「必要悪」としての軍備や「安全保障体制」の必要を唱える《現実主義者》の言葉には、そうした思考を拠り所とした20世紀こそが虐殺と難民の世紀(二億人に及ぶ人々がこの一世紀間に「戦争」によって殺され、その死者のほとんどが非戦闘員である市民だったこと、さらにそうした軍隊による死者の多くが「敵国」の人間ではなく自国民であったこと、等)であったという「現実」を直視するように喚起する。

このように説き起こしたのち、日本国憲法の制定過程を簡略に記し、政府(為政者)の視点からではなく、生活者(市民)の側から考えることに注意を促しつつ、そうした立場から、《政府に与えられていない権利のひとつ》として《戦争をする権利》(交戦権)を位置づけることで、改憲論の主軸である「日本国憲法は占領軍によって押しつけられた屈辱的な代物」とする「押しつけ憲法批判」や、日本も「自衛のための交戦権を持った普通の国になるべき」だとする「普通の国家」論者たちの視点と議論をともに相対化する立脚点を示す。

私たちに交戦権を行使できる「普通の国家」は必要なのか、いや、それ以前にそもそも戦争が必要なのかという基本的な視点へと立ち帰らせ、「子どもとともに」戦争と平和について考えるための優れたテクストとして薦められる好著。