啄木の友人「宮崎郁雨」の真実の姿を見た著者に感激!
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本書は一昨年「新潟日報」に56回にわたって連載されたもので、主に啄木の友人「宮崎郁雨」にスポットを当てた論稿です。私は新聞連載中から、早く一本になってほしいと願っていたひとりです。
「新潟日報」という地方新聞に連載されたのは、新潟が郁雨の故郷であったことと、山下さんが、新潟在住という縁によるものと思うが、私が全国版で読んでほしいと切に願ったのは、連載の文章を読み始めて何回目頃からだったでしょう。
宮崎郁雨については、これまでに多くの人(小説家や研究者)が、それぞれのことを書いているが、それらの中には郁雨の人間性をまったく理解していない、あるいは誤解しているのではないか、と思うようなものもあります。
私が山下さんの文章に見たのは、これまでに読んだ事の無い、「人間郁雨」の真実の姿でした。
山下さんの文章は、郁雨が啄木につくした根底には、自分も故郷を追われた人間であったから、ということが大きく影響しているのではないか、という考えもあるようです。そのために郁雨の書き残したものは、勿論、これまでの研究者が見なかった、あるいは見ようとしなかったものまで、訪ね歩き、ゆかりの人々に直接会って話しも聞いている。
今までに書かれなかった郁雨像とは、どのような面か、と言えば御幣も有りますが、多くは啄木の経済的な援助者で、啄木の晩年は「節子の不貞説」問題が起きて啄木から絶交された人、という程度の郁雨像しか語られず、また論じられても、その周辺を出る事はなかったと思います。
が、今回の山下さんの著書には、「人間郁雨」のすべてが語られている、と私は思いました。
また、山下さんが郁雨の遺した約四千首の歌の中から探り出した「郁雨の言葉」も注目すべきひとつと思います。
これまで、郁雨の書き残した文章は多くの人に読まれ、論じられてもきましたが、短歌については、ほんの一部の歌を除いては、ほとんど論じられることも無く、存在すら知られて無かったものもありました。
山下さんはそれらを丁寧に調べ、読み込み、検討しながら、途切れながらも新聞連載を続けておられましたが、その成果は、本書によって充分に結実したと思います。