福沢諭吉も迷惑だってさ!
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さて、大川隆法の霊言シリーズが『また』出版されましたよ。ほんと、しつこいですね(笑)
霊言を信じるか信じないかは別にしても、著者が主張したいのは幸福の科学の正当性です。
もやは何でも有り
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【17ページに以下のような福沢先生の感想が出ています】
仏といわれるものにも会ったし、神と称されるものにも会ったし、西洋的に天使と称されるものにも会いました。驚きです。驚きではあるけれども、「自らもまた、そういうものの一員である」ということが二重の驚きです。
こういう生の声がとてもいいですね。
・・・・・・・
今後、霊言本はさらに出版が続きます。
マッカーサー、ドラッカー、ハイエク、マルクス、毛沢東、宇宙人、・・・・
もはや何でもあり状態です。
このように誰の霊言でも自由自在に出せるのは(ムハンマドさんによれば)この世に一人しかいないそうで、とんでもなくスゴイことだそうです。
それができるのは地球系霊団の最高大霊「エル・カンターレ」、ただ一人。
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言えり。しかるに・・
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「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という一節はあまりに有名である。 しかし、この文には続きがある。
「サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ、カシコキ人アリ、オロカナル人アリ、貧シキモアリ、富メルモアリ、貴人モアリ、下人モアリテ、ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」 である。
福沢諭吉は、この違いの原因を「学問の差である」と看破した。
だからこその「学問のすすめ」である。
福沢諭吉は、「人間の格差は、学問の差である」と言ったのである。
ところが、今では、「平等思想の権化」のように思われている節がある。
しかし、実際はそうではない。
今回の霊言は、この言葉の真意についても解説されている。
「福沢諭吉は、神を否定した」として有名な
『福翁自伝』の中の神社の御神体の石ころを取り替えたり
お札を踏んだりというエピソードと、
この言葉をリンクさせながら、
福沢諭吉が持っていた「信仰」とはなんであったのかが語られている。
また現代の慶應の現状をどう見ているのかなど、
福沢諭吉を「大先生」と呼んでいる関係者への
メッセージとなる内容も収録されている。
時代を切り開くものは、自助努力の精神であることは、
いつの時代もかわりないのだ。
そういう声が聞こえるようだ。