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壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか (岩波新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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実例 ★★★☆☆
都が運営する労働相談に従事してきた著者のもとには近年、「女性相談窓口」
にも関わらず“男”の相談者が殺到する奇妙な現象が起きているという。
それは彼らが、今まで“女性問題”とくくられていた諸問題のその多くが無自覚
であった自分たち「男性問題」であること自覚せざるを得なくなり、同時にそれに
戸惑いを覚えていることの証左だ。本書は、著者が実際に関わったセクハラ問
題の案件をもとに、主に職場でのセクハラ被害の増加の背景、「壊れる男たち」
のその背景を探る。

このようなセクハラの背景には、不況による雇用不安、女性の社会進出による相
対的な男の地位の下落によるアイデンティティ喪失にあると著者は説く。なるほど、
旧来なら性役割分業によって体よく確保されていたはずの仕事という名の男の領
域は、近年急速に狭まってきている。そのことによってぽっかりと空いた胸の隙間
を、彼らは同僚女性らを思うがままにすることで満たそうとしていたのかもしれない。

ではこういったセクハラを防止するための策や展望は何かあるのか。どうも本書の
主張を最後まで読む限り、具体的にこれぞというものは見いだせていないようだ。
セクハラ加害者を擁護するつもりはないが、確かに本書に出てくるセクハラ加害の
男たち、中間管理職、つまりおっさんというのは、妻や娘との関係も悪化傾向、自
分の最終的な会社での到達点も知れてくる、いろいろな意味で人生の曲がり角の
時期だ。

経済不況が叫ばれる昨今、増加する自殺のボリュームゾーンも中年男性だという。
本書が終わりの部分で口ごもるのは、結局今の社会の閉塞感と地続きなのではな
いか。だからまだオッサンでない僕が、彼らにとりあえず言ってあげるとしたらこれ
しかない。
踏ん張れ、日本のオッサン!
恐るべき、セクハラ事例集 ★★★★☆
 行政の相談員という、第三者の立場から見たセクハラの事例が多々書かれています。そしてそれに対する著者の思ったことが綴られています。

 事例に関しては・・・男の立場から見ても男性の行動に呆れるばかりです。これらの事例での男性の行動、考え方におかしいと思うことがあれば、自らがセクハラを起こす可能性は低いのではないでしょうか?

 その一方、著者からは誰もがセクハラ加害者になる可能性についても述べています。

 行政の相談員として、中立の立場から見たセクハラ問題の実態が描かれていると思いました。
男社会で生まれたオンナという空想上の怪物 ★★★★☆
本書はいわゆるフェミニズムやジェンダーフリーを謳う本ではない(結論としてジェンダーフリーという概念の大切さは説かれるが)。セクハラ対策のハウツー本でもない。
セクハラという事例を通じて、世の男性全体の根本的な意識改革を求める本だといえよう。
それがフェミニズムではないというのは、本書が「男の立場」から書かれた本だからである。

本書で指摘されることで私にとってもっとも印象的だったのは、多くの男たちが"オンナ"という身勝手なイメージをもっているということだ。
オンナとは、男にとって都合のいい、現実とはかけ離れた理想の女性像である。それは男社会から生まれる。つまりは偏見だ。
これがセクハラの原因の一つだという。
では、この怪物はいかにして生まれたのか。
それは根が深い問題で、他に指摘される問題とも恐らく本質的には一緒のことだろう。
本書はそこまで根本的なところまでは立ち入らないが、しかしこれからの社会に我々男性が適応していくためにも、考えていかねばならないことだ。

男性にはもちろんオススメの本だが、女性の方にも「男の考え方」を知るうえで役に立つ本だと思う。
依然として隠れた性的問題=セクハラ ★★★★☆
この話を読んでやはり、女性として、男性には気を引き締めた行動をとらねばいけないと再度実感した気がします。仕事上のセクハラというのは一番面倒臭いことだと思いました。仕事とはやはり、人間が生きていく上で大事な生命線でもあるので、それをいいことに、社会的立場を利用されたりしたら溜まったものではありません。きっと、世の中では、知らないところでこのようなことが沢山起こっていると思われます。ただ、セクハラを問いただすことは、中々女性にとって、まだまだ大変労力のいることだと感じてなりません。時間的、精神的…。嫌なことはすぐにでも忘れたいですから。女性を性的対象としてみる人たち。自分の衝動を他人にぶつける男達。理由は何であれ、とても許せない行為です。

今は、女性が男性と共に社会進出をし、男性の立ち居地も随分変ってきています。それによって、男性のやり場のない気持ち…不安、そんなものは判らない気もしません。
また、男性はロマンを抱く生物とでも言えるし、一人の女性に慰めて欲しい、そんな欲求は誰しも抱えているかもしれません。

けれども、その対象を、間違えないで頂きたい。女性はおもちゃではない。ちゃんと、人間として、人として対応して欲しい。場をわきまえて欲しい。

もはや、それさえも分からぬくらい壊れきっているのだろうか。

その背景には、色々なことがあると思うが。
まずは、マスメディアの改革が必要だろう。
次に、もっと、生身の人間と関わりあう機会を持って欲しい。
そして、人の人権というものをしっかり考えて欲しい。

第一のマスメディアというのは、アダルトビデオの類、またドラマ等だろうか。
それらにどうやら、犯されすぎではないか。もちろん、生物的な欲求をなくせといっているわけではないが、それらを私生活に持ち込むな。そのくらいの理性を持って欲しい。そして、女性というものを大切に扱って欲しい。

第二の生身の人間というのは、女性もそうだし、男性もそうだし、人間との直接的なコミュニケーションだ。ネット社会が充満し、もはや現実と虚構の世界が見分けにくくなっているかもしれない。しかし、その区切りというものはきっちりとつけて、人とのコミュニティそんなものを大事にし、関わることを恐れてはいけない。そして、向き合うことが大事だ。

第三の人権。それは人の権利だ。社会的立場ではなく、もって生まれた人間の権利というものをしっかりと認識して欲しい。

と色々と述べてきたが、きっと、セクハラをする人達は、そんなことを受け入れてはくれないのでしょう。セクハラが社会に認知され、取り上げられたことを機に、しっかりと社会的制裁を加えていただかねばならないと思う。

普段は向き合わない問題に向かい合わせてくれる本でした。

まだまだ、分かりにくい、曖昧なところにセクハラの難しさがあるでしょう。

分析は月並みか ★★★☆☆
 パワハラや「ホームレス」等に関するルポを書いている、1943年生まれの労働ジャーナリストが、東京都勤務の経験をもとに2006年に刊行した、セクハラ(本書では訴訟になるような重大なケースが中心)をする男性に関する本。セクハラ(本書では一応男性が女性に行う行為として論じている。あとがき参照)は現在ようやく、従来のような「結果でしかない女性問題」としてではなく、本来の「原因である男性問題」として現れつつある。セクハラをする男性は、未だ男性中心の職場の中で、女性を仕事上のパートナーとしてよりも、性的な対象として見ることに日常的に慣れている(仕事とプライベートの混同)。その際、彼らは職場での力関係を自覚しておらず、相互に対等な立場での「個人的な大人の恋愛」の駆け引きと錯覚しがちであり(「騒ぐなど自意識過剰で大人ではない」、「折り込み済みのはず」)、行き過ぎがあったとしても「男だから」、「自然の成り行き」、「魔がさした」として軽く片付け、自分の行為と正面から向き合えない。彼らは他者への共感能力を著しく欠き、自分のワンパターンな願望を相手に一方的に投影して、相手の拒否的な言動も額面どおりに受け取らず、性的な駆け引きの一種と見てしまう。それは概して妻に見せる顔とは明確に区別された、欲望剥き出しの顔である。また彼らは、特に離婚した女性や派遣社員等には性的な視線を向けがちであり、しかもトラブルに発展した場合には、周囲の目も女性側の自己責任について厳しい傾向がある。著者はこうしたセクハラの頻発の背景に、固定的な性別役割意識の問題性、男性の抱えた閉塞感(リストラや成果主義、家庭の崩壊、女性の社会参加による社会意識の変化)、男性向け相談機関の不足を見、男性がありのままの自分に向き合う必要性を説く。文章は具体的で平易だが、分析はやや月並み。盗撮等については別の分析が必要か。