コルトレーンの混沌
★★★★★
1965年6月28日録音。2トランペット、5サックス、ピアノ、2ベース、ドラムス構成でソロ・ユニゾンの二元性というか無調の要素による『混沌』を導入した作品である。故に『最初に聴いてはならないコルトレーン』の1枚だ。
『アセンション』Part1は、コルトレーン→ジョンソン→サンダース→ハバードの順に、『アセンション』Part2は、マリオン→シェップ→チカイ→マッコイ→ギャリソン&デイヴィスの順にソロ・オーダーされているはずなのだが、判別が難しいのは聴いてもらえれば分かる。語り部たるアーチー・シェップは多くのことをこの作品について述べているが、一種の音のアクション・ペインティングだと言っている。
コルトレーンはここで何かを表現しようとしている、というよりはここから自然発生的に生まれてくるモノに興味があったのではないかと思える。生まれてくるモノに理由を添えずに受け入れたい。そんなコルトレーンの意思を感じる。
白地にソプラノ・サックスを持つコルトレーン。ぼくが一番好きなコルトレーンのジャケットだ。
集団即興音楽という形の壮絶なバトル
★★★★☆
1965年6月28日に録音された壮絶な集団音楽。コルトレーンは前年の1964年あたりから「黄金のカルテット」というフォーマットに行き詰まりを感じ始めていましたが、それは翌65年に行われたバリ・アンティーヴのライブと同年9月のシアトルでのライブにおいて顕著なものになります。結局、パリではエルヴィン・ジョーンズが途中でステージを放棄し、シアトルを最後にマッコイ・タイナーとジョーンズがついにグループを去る事態になります。6月にレコーディングされたこの作品は、まさにカルテット崩壊への導火線的な役割を担っています。
コルトレーン1人に対して即興で戦いを挑んでいるのは、レギュラーメンバーに加えて、フレディ・ハバード、デューイ・ジョンソン、ジョン・チカイ、マリオン・ブラウン、ファラオ・サンダーズ、アーチー・シェップ、アート・デイヴィスの総勢10名。やかましい、難解、わけがわからない…などという評価が巻き起こったこの問題作ですが、個人的にはコルトレーン1人と10人のミュージシャンによる壮絶なバトルだと考えています。息詰まるようなインプロヴィゼーションの応酬とエゴのぶつかり合い、そして聴き終わったあとに感じられる奇妙な静寂。2年後の死去を意識してしまうと、それは後追いの強みであり、また弱みでもありますが、コルトレーンがどんな気概をもって、このレコーディングに臨んだか大変興味深いところがあります。
CDでは「コンプリートエディション」として「エディション1」と「エディション2」が収録されています。アナログでは当初、「エディション1」が収められましたが、なぜだか「エディション2」に差し替えられてしまいます。したがって「エディション1」は長い間お蔵入りになっていました。この「コンプリートエディション」で、この壮絶なバトルの全貌を知ることができるわけですが、なぜ1から2に差し替えられたのか、1のどこが気に入らなかったのかは、いまとなっては永遠の謎です。でも、そんなことはどうでもいいです。ただ目を閉じて音の嵐に身を任せることで、少しばかりの「合法的な精神世界へのトリップ」を楽しんでください。
意外に構成的
★★★★★
初めは
「ぐちゃぐちゃなフリー」というイメージが残るかもしれないが
何回か聴いてみると意外に構成的だな感じると思う。
本当にぐちゃぐちゃなのは
各メンバーのソロの間のテーマ?
だけのような印象。
テーマ冒頭の音列が合っている時点で
完全なフリーじゃない事がわかる。
誰かのサックス(コルトレーン?)がフラジオ気味になったのを合図に?
みんなが奇声化する。
そして順番にソロ回し。
ファラオ・サンダースの
後期コルトレーンのエッセンスを凝縮させたようなソロ。
(彼の事を下手だと思っている人もいるかもしれませんが、
そんなことはない)
他のサックス陣のソロも個性的で気合いはいってます
(エディション2での巻舌系ソロは物凄い)
コルトレーンのソロも凄いの一言。
一方トランペッタ−陣のソロはふたつともテクニカル。
キー、コード、スケールとかいった次元を超越して
指の赴くままに吹きまくってます。
マッコイ・タイナーのピアノはいつもの路線という感じです
ちょっとしたブレイクタイム。
ベースのボウイングもなかなか。
エルヴィンは各ソロに対応して
適格なバッキングをしている。
ソロとのフィードバック。
(むちゃくちゃなソロに怒って反撃した
みたいな事を書いている評論家も多いが、
自分にはそうは感じない)
エディション2の方が全体的にやはり激し目