詩人の内的宇宙の深みと広がりに茫然
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それ自身異端だっただろうロシア・アヴァンギャルドの作家の中でもとりわけ異彩を放ったヴェリミール・フレーブニコフの生涯と作品を、その時代の変遷と共に読み解いた著書。著者独特の詩的で流動感に満ちた文体で、一気に読ませる推進力がある。
読み始めるとすぐに、同じ平凡社ライブラリーに収録の水野忠夫「マヤコフスキィ・ノート」との類似性が頭に浮かんでくる。全体的な章構成や記述のスタイルが明らかに継承されていて、それは本書の内容と密接に関わった著者の戦略でもあったのではないかと思う。それは、マヤコフスキーの詩作自体がフレーブニコフの作品から明らかに影響されていることを、「マヤコフスキィ・ノート」をすでに読んでいる読者に想起させるための仕掛けだったのではないか。
実際、ここで展開しているフレーブニコフの世界観と作品の質は、マヤコフスキーがものした作品たちをより壮大に、奔放に、容赦のない形にしたものといえるし、逆に言えばマヤコフスキーの作品はフレーブニコフの示すヴィジョンをより叙情的に、親密に、アイロニカルに変形したものとして考えることが出来る。そこからはまた、先行した水野忠夫氏に向けてのリスペクトと挑戦を示した亀山郁夫氏の意気も見て取れて、面白い。
フレーブニコフ個人について考えると、その数への没入と神話への親和性、造語と言語の根源、その向こう側を見定めようとする試行錯誤の姿には圧倒される、というか時々あっけにとられるぐらいの突飛さまである。それでも、ここにある世界観のいずれもが正しさ・誤りという次元を超えた秘教的な、詩人の存在論的な核としての必然性に貫かれたものだったのだろう、ということはなんとなく判る。
その内的宇宙の壮大さと深みに脱帽すること請け合いの伝記。「マヤコフスキィ・ノート」と併せて読むとより面白いと思う。