本当の学者/時代のアーキテクト!
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「菅原道真が日本史のキーなのでは...」という勘で購入しましたが、結果は「当たり」。正に時代のアーキテクトと尊称できるでしょう。大変わかりやすく、しっかりと調べて書かれた本で、ドキドキしながら読み進めました。お薦めです。
・道真は、期待のエースとして赴任した讃岐国で、疲弊した律令制の実態を見る。自作の「寒草十首」を読むと、民の窮状がありありと伝わってくる。
・成年男子にほぼ一律に与えられる班田が足りず、収授(再配分)が半世紀も停止。課税対象となる男子を戸籍登録するメリットが無くなっていた。戸籍上の成年男子数は激減してしまい、地方/国は大幅な財政赤字状態だった。律令制の人頭税としての側面が破綻していた。
・墾田の私有を認めた三世一身の法から時間が経ち、私有と班田の区別が付かなくなって収税できなくなっていた。
・律令制にも生活保護や災害対策があった。しかし財政赤字で機能しなくなっていた。
・道真は、戸籍で人頭税を掛けるのは最早無理と判断し、検地、土地ベースの課税、請負による収税という、現実的な国家運営方式を立案・法律化した。
国は地方長官に収税を請け負わせる(地方分権)
地方長官は荘園主や有力請負人に収税を請け負わせる
(種籾の管理を地方長官から請負人に委託)
・さらに奴婢の身分を廃止した。
・律令制の法に矛盾しないソフト・ランディング型で立法した。
・道真の見事な立法後、政治生命の危機を感じた藤原時平は、実際の検地が行われる直前に、若い天皇を騙し、謀反の罪を着せて道真を太宰府に流した。道真が作った法律をすべての記録から抹消し、自身が立法したことにして施行した。
・新制度で財政は豊かになり、京都は邸宅建設ラッシュ、そして王朝文化が始まった。人頭税から土地税/請負収税に切り替えたことは、封建制として幕末まで以降千年近く続くことになる。
・藤原時平を含む謀反ねつ造の関係者は罪悪感からか早死し、天変地異が続いたこともあり、世論は道真を神格化した。
人頭税の律令制から土地課税の初期封建制への転換は、発想、スムーズな移行計画、共に独創的なものでした。地方分権、民営化、アウトソーシングなど今でも関係ありそうな施策です。この封建制は、残念ながらその後、武力の争いに繋がっていきましたが、これは実力者が自分に都合の良いように法律を修正/運用して格差を拡大させていっている、現在にも通じてしまうような気もします。
道真は、サル山のボス(藤原時平)やサル(御用学者)達によって、立法記録と共に消されました。しかし、時代のパラダイムを変え、そのプリンシプルは千年にも亘って社会を支え続けました。菅原道真は、日本史には稀有な「本当の学者/時代のアーキテクト」と言えるのではないでしょうか?