理知的な文章に情感が優る
★★★☆☆
「鬼の研究」を読んだときにも思ったことですが、馬場さんの著作はその文章が私には不思議でなりません。豊富な語彙ですが、それよりも用語がきちんと書き手の意図を伝えてくるという点でたいへん理知的な文章であると感じました。
それなのに、語句や文章の節目にひらめいてくるのは因果ではなく、むしろ情感であることが不思議なのです。
本作に興味を持たれる方には失礼な「感想」でしょうが、歌にさしたる興味はなく、またこの歌人の歌を知ることもなく、文章に接するために購入しました。
たとえ散文であっても、詩人の表現は言語以前に発し、また同時にそこに向かうものだと思います。はて、私はいったい何を言っているのやら・・・、どうやら凡人は言葉を重ねるごとにむしろ本質から遠ざかってしまうようです。
語り伝えられる歌よみ説話のおもしろさ
★★★★★
いわゆる「歌物語」という名称は一般によく使われるが、ここで著者はもっと広く説話集の中の歌に関するもの、その歌の成立事情の説明である詞書等をも含め、本書では「歌説話」と称しているようだ。ただその歌に関する裏話を楽しむというのではなく、「歌とはどういうものか」「歌とは何だったのか」と問いかける著者の探求心が、本書を書かせたのではあるまいか。
注目される一例を挙げれば、才人藤原公任をめぐる説話である。まず、『枕草子』で公任の上の句に清少納言が下の句を付けるときの緊張感。『大鏡』を初めとして公任の「三舟の才」が語られている。詩・歌・管弦の三舟のどの舟に乗るべきかというとき、つい歌の舟に乗ってしまったが、面わざとして詩(作文)の舟に乗るべきだったと悔しがる話。 後日、この時の歌の「散るもみぢ葉を」を「もみぢの錦」と変更してはどうかと言われたとき拒否した自負心もみごとである。
名歌を生む言葉、「いのち」の言葉を大切にしている。歌好きの人には啓発されるところの多い一書である。