書画による山頭火句の再表現
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山頭火の解説や鑑賞、評論や論評であったら、他の人でもできる。この人でなければできないのは、童心に返って、原句を「俳画」にすることであろう。
最近特に、多くの人に親しまれるようになった鶴太郎の書画は、山頭火を俳画にするのに、うってつけりものものにちがいない。本書口絵の俳画、これだけでも山頭火が象徴されている。
ゆふ空から柚子の一つをもらふ…本来の俳画なら、柚子一つ描いては付きすぎる。ここでは一面緑(草原ふう)をバックに柚子の黄(レモン色)の実をぼかしで浮き彫りにしている。
いつも一人で赤とんぼ…この短冊も赤とんぼ一匹を緑のバックに浮き出させている。
ついてくる犬よおまへも宿なしか…この短冊も一頭の犬が描かれているのみである。
酔ひたい酒で、酔へない私で、落椿…この短冊も一輪の落椿だけを描いている。
うしろすがたのしぐれていくか・分け入つても分け入つても青い山…この二句を初め山頭火の代表句の解説とコメントがある。しかし、俳人でもなく俳句評論家でもなく芸術家肌の著者の感性が表出されている、それだけで本書出版の意義はあろう。
山頭火を後世がどう評価するか、それは歴史の趨勢に任せるしかない。評価とつながりはあっても、それとは別に享受者がどう感じ取り、受け取るか、それは俄然「文芸的表現」として現代に息づいてくる。本書の特長は「しみ入る心」を大切にして書画による句の再表現を試みたことにある。