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マクドナルド化の世界―そのテーマは何か?

価格: ¥3,150
カテゴリ: 単行本
ブランド: 早稲田大学出版部
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   生まれ故郷のアメリカに始まり、世界中で急速に拡大し続けるマクドナルド。「マクドナルド化(McDonaldization)」とはこの世界最大のファーストフード・レストラン・チェーンに見られる合理化の過程を指す。話題を呼んだ前作『マクドナルド化する社会』(原題『The McDonaldization of Society』)で示された造語で、社会学者の著者はその特徴を効率性、予測可能性、計算可能性、制御の強化、脱人間化と画一化などと考察する。着想の出発点となったのはマックス・ウェーバーの合理化、特に官僚制化の概念であり、マクドナルド化をウェーバーの理論の近代化と説いたのが前著だった。対して、本書はポストモダンの視点を取り込み、より広範な社会現象や社会問題を扱う野心作である。

   クレジットカード、ショッピングモール、スーパーストア、通信販売、ツアー、テーマパーク、さらには社会学や大学までマクドナルド化が見られるという。著者はこれらを「新しい消費手段」とくくり、ポストモダンの理論を引いてその内破性、拡張性、記号性などを分析する。「理論的な論点」を扱うI部は学術的なので読みづらいかもしれないが、飛ばしても差し支えないだろう。II部以降は話が現実的でとても興味深かった。

   マクドナルドやクレジットカードは、現代におけるバベルの塔になりつつある。私たちはもはや新しい消費手段抜きに生活できない世界に生きている。これらの「合理化された鉄の檻」をどうとらえ、対処してゆくかは万人にとってきわめて大きな問題である。(齋藤聡海)

マクドナルド化とメタ社会学という重要な視点 ★★★★★
もうすでに5年ほど前にこの本についてレビューしている人がいて、「目次だけでよい」とか
タイトルに書いているが、全然そんなことはない。こんなレビューすぐに削除するべきだと思
うのだが、本書はアメリカ型グローバリズム、消費のグローバリズムを読み解く上では必須の
文献である。訳は章ごとにデキが若干変わるが、総体としては読みやすいと思う。

リッツァは本書において、最初に当てた本『マクドナルド化する社会』の中で考えたことを援
用して、議論の射程をさらに「クレジットカード」や「ツーリスト(旅行)」、あるいは大学
の、社会学のマクドナルド化にまで広げている。
マクドナルド化自体はもちろん彼オリジナルの概念であるが、彼が依拠しているのはウェーバ
ーとマンハイムである。もっといえばマクドナルド化とはウェーバーの官僚化の消費社会化し
た現代版であり、その内実こそがマンハイムのいう「合理性の非合理」なのである。

合理性の非合理性とは、システムの合理性の極地を追求していくことによって生まれたひずみ
によって、かえって事態が非合理的になってしまうことを指す。例えば、合理性を追究しマニュ
アル化した働きしたできなくなったマック店員は、マクドナルドで働く限りにおいては確かに
合理的である。しかし、彼が転職したらどうだろうか。あるいは、マック以外の社会において
はどうか。
実生活では、自分一人で考え行動することが求められる機会も、当然ながら存在する。しかし、
合理化されたマック店員はそんな「非マニュアル的」な状況に合理的に対処できるのか?おそ
らく対処できないだろう。それこそが合理性の非合理性なのである。

マクドナルド化する社会、そしてグローバリズムは同質性と異質性の混融だという。これと似
たことがネグリとハートの『<帝国>』のグローバリズム論でも書かれていて、結局どういうことか
わからなかったが、この本を読んでわかった(気になっている)。
ツーリズムで説明すれば、我々は今や、どの国に行ってもマクドナルドに出くわす。その点で
全世界的に同質化しつつある。
だが、イタリアではイタリアでしか買えないマックのメニューがあり、メキシコではメキシコ
でしか買えないマックのメニューがある。「チキンタツタ」は日本でしか食べられない。
そういった意味では、世界は未だ「異質」なのである。

もっともその異質性は、マクドナルド化という全面的な「シミュラークル化」が施された
「ハイパースペース」の管理下においてのみ保証された脆弱なものではあるが。
目次のみでよい ★★☆☆☆
気がします。目次で何が言いたいかが8割方検討つく。
しかも世界の「マクドナルド化」分析、批判が大雑把で浅い。
量が多い割に中身が薄いのであんまりおもしろくないと思います