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刑法三九条は削除せよ!是か非か (新書y)

価格: ¥1
カテゴリ: 新書
ブランド: 洋泉社
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いろんな職種のさまざまな視点から書かれている面は好感が持てる。 ★★★★☆
医療観察法制定後,施行前というタイミングで発行されている本。
心神喪失,心神耗弱で罪を犯した人をどう処遇するのかということが,刑法39条には書いておらず,今後の課題というところで終わっているのが惜しい。
まぁ,タイミングからしてしょうがないのだけれど。
共同編の呉智英氏がさらっと書いているところがもったいない。いまならもう少し踏み込んで書くのだろうか。
タイトルから見て,廃止を強く訴える書き手が少ないのも意外ではある。
いろんな職種のさまざまな視点から書かれている面は好感が持てる。
論じうる上でのバックボーンとその有意味性 ★★★★★
刑法三九条に関して、刑法学者、弁護士、思想家、文学者、社会学者、心理学者、精神科医(2名)によって寄稿されたものである。考える点の多い良書であるが、他のレビュアーと別の視点でひとつ論じてみたい。
本書を通読するに、法律学(刑法学)、ならびに精神医学は学問として認められるものなのか、という問題がある。
ただこれを論ずるには難点があり、刑法学者が刑法学(刑法ではない)を無用だと言うことは考えづらいし、精神科医(心理学者ではない)が精神医学を無用だと言うことは考えづらいからだ。ただどちらかといえば佐藤直樹氏は刑法学について無用だという論点に近いように思われる。それに対して林氏、滝川氏は、無用などということは考えられない、という立場に近い。浜田氏は心理学者だが論じておられることは国家論でありその点は明確にはなっていない。弁護士の副島氏は処遇論と銘打って入るが後半にみられるよう一般人間論となっている。
その点、それぞれ自らの学問的立場からの発言では、あくまでアカデミズムのレゾンデートルを維持するためのものとなり、そうでない立場からの発言では、プラトン以来の真理を求める言説となる。


すなわち、人間とはそもそもなんなのか、国家とはなんなのか・・・・


というそれ自身はきわめて重要な問いであり、論じられうるべき問いが、ここではそのダシとして、刑法三九条なり、加害者なり、被害者なりが使われているという事態である。これは別の事件でもそうであり、少年法・少年の殺人事件もあくまで「人間論」「国家論」を考える上でのテキストとしてしか参照されない(現時点で少年Aをいまだに論じている人々の少なさを見よ)。その点学問とは一体全体何なのか、という面まで踏み込んでいるのは呉・橋爪両氏になろう。呉氏は東洋思想を背景として論じ、橋爪氏は西洋法思想を背景として論じている。とはいえ両者の意見も、東洋古典、西洋古典から現代に連なる膨大な学問的蓄積はとりあえずどうでもいい、という廃止論者、存続論者にとってはあまり意味・影響ともにないように思われるのだが。
偏っていない良書。 ★★★★☆
刑法三九条「心身喪失者の行為は、罰しない」「2 心身耗弱者の行為は、その刑を減刑する」

タイトルから受け取るイメージだと、この刑法三九条削除賛成に傾いた本だと思っていたけれどもそんなことはなく、逆に反対派の方が多いぐらいだった。

執筆者も、法学者・弁護士・精神科医・社会学者等様々で、決して深くはないけれども、刑法三九条に対しての多面的な意見を読むことができる良書。
方法論の違いはあれど ★★★★★
刑法39条の削除反対論者と賛成論者のぶつかり合い。
 反対論者の滝川は、心理学者らしくヒューマニズムの観点からデータを読み解く、が反ヒューマニストには関係ない議論だろう。
 賛成論者の佐藤は心理学に根本から疑問を呈している。論理的には優れているが
心理学が浸透し、国民総カウンセラー時代となった今では、精神分析を自然科学とも捉える輩が多い。
 社会学者の橋爪大三郎はどちらがよいかわからない「から」削除するのは暴論という立場。
 小谷野は文学者ながら論理的という形容がつきそうな程で、当然心理学の思いつき連想ゲームにはついていかない。
 結局のところ、ありとあらゆる法に於いても「願望は現実を規定せざるを」得ず党派性を守るための戦いでしかないということだ。21世紀に於いて学問とは党派を守る為に「しか」存在しないという
ことを理解させてくれた名著。
私の印象では、削除反対派が優勢みたいなんだけど… ★★★☆☆
 こういう書名の本を作るということは、39条を問題視しているからに違いなく、私としては「是か非か」と掲げながらも、削除賛成派が優勢な内容なんだろうなと予想していた。ところが、はっきり削除派なのは佐藤直樹ただ一人。しかも、フーコーなんか援用する割には、フーコー本人が聞いたら臍で茶を沸かすようなお手軽な理論構成で、この人本当に刑法の専門家なの? ってカンジ。
 小谷野敦も削除派に与するようだが、論点は法制論というより心情論で、むしろ言論状況への批判。呉智英の議論は及び腰で、落としどころは折衷案。林孝司のは医療現場からの現状批判で、それはそれで傾聴に値するが、39条削除には直結しない。そもそも本書で何度も言及される日垣隆の議論だって、39条の全面削除を求めていない訳でしょ?
 他方、削除反対派の議論はかなり充実。橋爪大三郎は例のごとく木で鼻を括ったような原理論的な立論で、これはこれで私なりに反感も感じるが、筋の通り方については文句ない。より現場に近い人々の議論も、私には説得力があったし、なにより編者片割れの佐藤幹夫はハッキリ削除反対の論陣を張っている。
 確かに責任能力論は、近代法の依拠するフィクションの要に位置する。近年の遺伝論争の展開や本質主義の復権傾向から考えても、近代法の体系が再考を迫られていることは、私もその通りだと思う。しかし呉も言うように、来るべき法体系の姿は、まだ見えていないのではないか。
 私も、現状に問題無しとは思わない。やはり被害者遺族の感情により配慮した法の運用を希望する。しかし、少なくとも39条削除派がこの程度の論陣しか張れない段階では、削除後の世界が今より良くなるとは思えない。