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ドストエフスキイと日本人〈上〉二葉亭四迷から芥川龍之介まで (レグルス文庫)

価格: ¥864
カテゴリ: 新書
ブランド: 第三文明社
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ドストエフスキー受容からみた出色の日本人論 ★★★★☆
もう20年以上も前に朝日選書で読んだものをこのたび再読。
レグルス文庫には石上玄一郎とか結構捨て難い作品が入っており、今回このシリーズで復刊されたのは嬉しい。

明治維新以降の近現代史において、何度かの“ドストエフスキー憑き”に見舞われた我々ニッポン人(読者)。それを辿ってみれば、相当に興味深い精神史ができあがる。
明治25年前後、40年前後、大正期、昭和9年から12年、昭和20年から25年、そして1970年以降。記憶に新しい亀山郁夫訳『カラマーゾフ』のベストセラー現象と“秋葉原事件”・・・・。
最後のテーマは今回の新版化に併せて下巻で増補しているが、それは分量的に物足りない。

上巻の読みどころを一節を引くことで示すとするなら、次の文章になろうか。

<わがくにの近代は大ざっぱにいえば、ドイツにおけるニーチェ、中国における魯迅、すなわちロシアにおけるドストエフスキーをもたなかった。これらの作家に共通するのは、遅れて近代化をはじめた国ぐにで、相乗化された近代の毒にのたうちまわりながらも、その毒をみずからの身体からしぼりだそうとする苦闘、とでもいったらよいだろうか。>(p118)

同じ苦しみを共有していたにも拘らず、こうした作家を持たなかったニッポン人は、自国の文学をそのままでは受け入れることができず、<ドストエフスキイとの逆縁>によって、強く惹きつけられるのである。それはまさに“憑かれた”というのが最も相応しい。そういえば、中村健之介訳では『悪霊』を『憑かれた者ども』としていたのではなかったか?