マリゴールドの黄色、黒い肌の色、そして青い眼
★★★★★
「1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった」という少女の独白でこの物語は始まる。
でも、マリゴールドの鮮烈な黄色い花の色を思い描く間もなく、
直後に「マリゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた」と文章は続く。
少女が播いた種はひとつも花を咲かせず、少女と同年代の女の子は父親の子をおなかに宿した。
何が正しくて、何が悪くて罪なのか。
少女である今はよくわからない。でも少しずつだけど、それはわかりはじめる。
そのときに見た色彩をともなって・・
“弱い者が、より弱い者を虐げる”という差別や貧困の根源的課題は、当時の黒人社会でも根強く根を張り、
虐げられた“弱者”としての黒人が、自分より弱い立場の同じ黒人を虐待するという内容で、
DV、児童虐待、性的暴行が主要なテーマとして出てくる。
私達はその痛々しく禍々しい内容に、時には生理的嫌悪も生じるかもしれない。
でも安心してほしい。
作者は、黒人の悲惨な状況を並べて読者の同情を得ようというような、安っぽい作家ではない。
女性として、黒人として、また新進作家として、自分の感性のアンテナをフル稼働し、
少女を語り部とすることで無邪気な視点を交じえ、また、季節や田舎の風景描写を多くするなどで
人間たちの陰惨な行為だけで物語が染まらないように配慮されている。
冒頭に書いた花の色を想起させる描写もそのひとつだと思うし、
昆虫の緑色、レモネードの黄色、そして黒や白といった肌の色の描写につながる豊かな色彩感覚が
最後に“The Bluest Eye”(誰よりも青い眼)という表現を、強烈に読者の心に写すようになっている。
もちろん非黒人である日本人の多くにも読んでほしい作品。
10代の日本人の女の子も、この作品から多くの大切なことが得られるから。
真の美しさ
★★★★☆
トニモリスンは黒人女性ノーベル賞初受賞者。そう聞くと作品は人種問題がからんで重そう…と避けてしまう人が多いのでは?でもこれは「女性の真の美しさとは何か」を問う物語でもある。フリーダは黒人の中で最も肌が黒く、黒人の間でさえ醜いがために一番蔑視されている。彼女は白人の女の子の家を訪れたとき、白い肌に金髪、青い目の人形を見つける。貧困を象徴する壊れそうなあばら屋のフリーダの家とは違い、白人の女の子の部屋は夢のように素敵だった。そこで彼女は衝動的に人形をはさみで切り刻む。「一体全体みんながきれいと言っているものの正体は何なの?」と。衝撃的なシーン。貧困の中を雑草のようにたくましく生き抜いてゆく黒人の主人公。その生き様は読んでのお楽しみ。彼女の姿は人種問題の深刻な米を強く生きるモリスン自身に重なって胸が熱くなる。
ブランド品を買い集め、ファッション雑誌そのままの服をコーディネート、ダイエットに励む自信に欠ける日本人女性たち。本書は「真の美しさ」について考えてみるいい機会を与えてくれると思う。
黒人による黒人への差別という問題
★★★★★
黒人差別のひとつの大きな問題は、黒人による黒人への差別である。
白人社会の価値観を押し付けられ、それに反発を感じつつも、
黒人たちはそれを受け入れる。黒人による黒人への差別を通して
その価値観は再生産され強化されていく。
黒人は被害者であると同時に加害者でもあるが、その差別は、
結局白人の価値観に従って黒人である自己をも否定することになり、
彼らを二重に苦しめることになる。
ピコーラはそのような黒人による黒人への差別の犠牲者である。
作者は黒人差別の問題がいかに複雑で、白人によって
巧妙に作り出されたものであるかを明快な文体で鮮烈に描いている。
黒人が主役の本。
★★★★☆
アメリカ文学で黒人が主人公の作品は、そう多くないと思う。特に日本人がよく読む本だと白人が主人公で黒人が悪役だというパターンの作品が多いのではないかと思う。「トムソーヤの冒険」がその一番の例だ。人間としての実情を知ることは大切だと思う。黒人が主人公で黒人社会での貧しい生活、虐げられた生活を知るためには一番良い本だと思う。
考えさせられました。
★★★★★
人為的に白人によって作られた美意識的価値観にどれだけ黒人社会が影響されていたか、その影に翻弄されたかのように、おのれ自信を正当化するために犠牲者を求める人々。人種ののるつぼと呼ばれるアメリカとそういう感覚は違っても、排他主義な傾向は日本でもみられるのではないでしょうか。
さすがノーベル文学賞をとった作家だけあって、ナレーションも結末をにおわせる様なスタイルをとったり、時代設定を支える周りの描写のし方も凝りに凝ってます。