走ることについての真理を理解しながら、村上春樹を知ることのできる一冊
★★★★☆
まず驚いたのは、村上春樹がこんなにも「健康な」人だったということ。本著にもあるように、私(や、おそらく彼の読者の大部分)は、どうも「小説家」というと、ヤニだらけの部屋で真夜中に机に向かってカリカリやっている、無精ひげをはやした頬のこけた「いかにも不健康そう」な人を想像してしまうのだけれど、この本を読む限り、彼はその対極にいそうなヒト。
そういえば、村上春樹を初めて「見た」時も、自分の中で勝手に作り上げていたムラカミ像と、現実(ホンモノ)とのギャップに、かなり驚いたものだった。私の中では彼は「チョイ悪オヤジ」みたいなイメージがあって、ひょろっとした細身の長身で、影のある感じの人、もしくは、髪の毛もしゃもしゃ、服はよれよれだけどどこかカッコいい……みたいな。で、現実の彼はというと、どこにでも居そうな「フツーのおじさん」。あまりに普通すぎて、なんだか気の毒なほど(失礼!)。
まぁ、容姿の話はどうでもいいのだけれど、「不健康なイメージをもたれている小説家が健康でなくてはならない理由」なんてのも、この本には丁寧に説明されていて、なるほどな、と思ってしまった。
本著はmemoirとサブタイトルがついていて、走ることについて書くこと(語ること)を通して少し村上春樹がどんな人間かをわかってもらおう、的なテーマがあるみたい。
走ることについて語っている時(それがこの本の大きな部分を占めているのだけれど)の内容については、多分runnerであれば大いに共感できることが多いのだろうけれど、私はrunnerではないので「ああ、そうなのか」程度。でも、それを「人生」や「生きること」や「仕事」など、自分でも行っている事に関連づけて(すりかえて?)読んでみると、いちいち真理をついていて、やっぱり巧いなぁ、この人は。と、思ってしまう。
そこここに、「あぁ、そうか」とか「なるほどね」とか納得できるツボがあって、たまに「くすっ」「ははっ」と笑ってしまう(乾いた笑いなんだけど)があって、なんとなくやめられないんだよね。
日本語で読んだらどうなんだろうという気がしないでもないけれど、英語は英語でなかなかよかったので、多分日本語は敢えて読まないと思う。
英語の文体としては非常にシンプルで、もしかして本人が英語で書いたのではないだろうか?と思ってしまうほど、「分かりやすい」英語。語彙も、さほど難しい語彙はでてこない割には、時々教科書で習ったような表現「○にとっての×は、△にとっての□である」なーんてのもでてきて、それはそれでなんか可笑しかった。いつも、「こんなのどこで使うんだろ」と思っていたけれど、「こんなところ」にでてくるんだなぁーと。
気軽に読める一冊でありながら、面白い角度から「正しいムラカミ」知ることのできた良書だったと思う。