人生も半ばを過ぎればだれでも失ったものがあり、傷つけてきた人々がいる。人生の節目に、あるいは心身の変調を契機に、それらを振り返って後悔や罪悪感にさいなまれることもあるだろう。そんなとき、精神が危うい一線を越えてしまうことがある。著者もそのひとりだった。 精神科医として、またうつ病患者として、その危機をどのように乗り越えたのか。
的確な症例記録に加え、心の動きや自然の移ろいが、文学的なみずみずしい表現で描写されている。この感受性こそが底知れない深淵をさ迷わせ、また同時にこの人を救ったのだということが感じられる。
治療法の転換後、徐々に症状が快方に向かいつつあるころ、セラピーで、ある音楽を聴く。この描写は実に感動的であり、この一節を読むだけでも価値がある。
もう何年も忘れていた感情が表に出てきて、思わず涙が頬を伝わり言葉にならない。(中略)寒々とした暗がりが光と温かさに消され、春の風が凍った斜面を吹き渡るように感じ、私はたとえようのないほどの、限りなくしあわせな気分に浸っていた。長い沈黙を破り、私はこぶしで涙を拭きつつ、とぎれとぎれに語った。「私が感じたのは…、その…つまり、人生にこうした苦く恐ろしい悲惨さがついてまわるにしても、…やはり生きていくだけの価値があるということ…」。そこで彼女は言った。「あなたはもう健康なのです。私には断言できます。あと2、3週間たてば、あなたはここにいなくなるでしょう」