インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

Zen At War (War and Peace Library)

価格: ¥2,568
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Rowman & Littlefield Pub Inc
Amazon.co.jpで確認
「剣禅一如」と「増上心学」の違いに気づく時! ★★★★★
塚原卜伝、足利義輝、上泉信綱、柳生利厳、宮本武蔵らの登場する剣豪小説では、「剣禅一如」という境地が理想として描かれる場合が多い。この剣術が中国武術に変わると、「武禅一如」を目指す嵩山少林寺(達磨大師創始?)の少林拳となる。そうした剣術や武術を戦争に格上げした「戦禅一如」と言うべき事例を本書で知ることになる。
トルストイから打診された仏教指導者としての日露開戦批判について、釈宗演の返事は「釈尊は間違いなく不殺生を説いた。一切衆生は大慈悲心で統一されない限り、平和は決して訪れない。それゆえに互いに矛盾する物事を調和させるには、殺戮と戦争が必要となってくる。」(p.48)である。また、暗殺事件の容疑者を支援する山本玄峰の法廷証言は「仏教は人道の真の円満を根底となすが故に、之を破壊する者あれば、止むを得ず善人といえども之を斬るなり。」(p.134)である。こうした驚きの発言に、鈴木大拙、原田粗学、沢木興道らも並ぶ。
しかし、剣禅一如も武禅一如も戦禅一如も「世間の勧善懲悪」であり、ブッダ釈尊の説いた「出世間の仏教」とは言えない。なぜか?
ブッダ釈尊の仏教は戒・定・慧が基本である。これを実践するアプローチには、「正語」の側から出発して「正見」を目指す「増上戒学(=戒)」と、「正念」の側から出発して「正見」を目指す「増上心学(=定)」がある。「増上戒学(=戒)」と「増上心学(=定)」によって「増上慧学(=慧)」に到達するのである。
さて、同じアジアでも、日本の禅は道元が13世紀(鎌倉時代)に中国から伝え、ベトナムの禅は毘尼多流支(ヴィニタルチ)が6世紀に中国から伝えた。日本禅より7世紀も早いベトナム禅には、「正念(i.e. sati=mindfulness)」を訓練する『律小』という例題集から「禅」の予備訓練が始まるが、ここに初期の禅の修行アプローチを見ることができる。つまり、「禅」のアプローチは「増上心学」なのである。
ところで、8世紀の中国では不思不観の坐禅による解脱を説いた摩訶衍(まかえん)の禅が流行した。チベット王はこの教えの反社会性を憂え、シャーンタラクシタ(寂護)の弟子カマラシーラ(蓮華戒)を招いて、摩訶衍を折伏させて龍樹がまとめた中観の教義を正統とした。ところが、日本の禅では摩訶衍の教義を排除していない。むしろ日本の禅に忍び込んだ摩訶衍の禅が、剣禅一如という形で新たな流行をもたらしたに違いない。
今こそ、ブッダ釈尊の仏教を覆ってきた猥雑物を取り除く覚悟が必要である。
戦後生まれには、むしろ新鮮に感じた・・・ ★★★★☆
たいへん参考になった本だった。

作者の意図は、(反戦的な視野をもった)米国の曹洞宗僧侶が、日本の戦前の禅宗(ならびに仏教界全体)が戦争協力をするにいたったのかという過程、その全貌を仏教界の指導的役割を担った指導者の思想や発言を通して明らかにしようとする試みだ。
その描き方は、著者の一方的な思いこみの書き方ではなく、一つ一つ証拠集めを長年にわたりしてきた地道な取材姿勢を感じる。

しかし作者の意図とは反対に、ここに登場する戦前の僧侶達が自らの信念に生き生きとして活動している姿が描かれていて、自分などはむしろ新鮮な空気を感じてしまった。
日本人は時代の空気を読んでタブーには触れない不文律があるが、他の文化圏から眺めた時代に左右されない真実の追究が、いままで漠然とした日本人の禅宗思想に対する歴史感を内省的確信に導いてくれる資料になった。

現代の禅宗は活力を失っている感があるが、何が足りないのか、何をするべきなのか方向性を見いだしてくれる良書と思う。
なかなか興味深い ★★★★★
禅を在家で修業していますが 違和感も感じていました。この本が書いている事が禅の全面否定にはならないとは思いますが 禅を修業する人はこうした危険性を頭に入れておくのが大事に思います。在家といえど禅にあまり悪いイメージを持たない人が多く まっしぐらに禅を信じてしまっていますので 憲法9条がなくなり またもやファシズムに走れば同じ運命にもなりかねません。 禅は良くないといいきれない面がありますし 個人の人格の修業には素晴らしい効果があります。しかしこうした歴史は事実としてあるのを忘れてはやっていけないでしょう。 訳に関しては 私が日本語が無茶苦茶な世代ゆえか あまり違和感がありませんでした(笑) 問題はあるかもしれませんが..
確かに訳が…。 ★★★★☆
真摯な本です。この真摯さにはあたまが下がります。ですが、訳がこれでは酷すぎます(なので星4つ)。こなれていない、のではなく、日本語になっていないところがほんとに多いのです(多い場合は1ページに何か所もあります)。ただし、日本語文献からの引用の部分には日本語におかしなところがないので、原典にあたっているのでしょう(そこが救い)。ともかく、訳ががたがたなのに私がこの本を読み通せたのは、真摯さのおかげです。であるだけに、訳のがたがたさが何とも残念。
全仏教徒および仏教に関心のある者、必読の書 ★★★★★
率直に言って、訳が酷い。誤訳というより、日本語になっていない箇所が散見される。しか
し、英語の原著を読むようなつもりで、著者が言わんとしているところを読みとろうとするな
らば、本書は、とりわけ日本のナイーブな仏教徒や仏教界にとって、生死を決するほど重
要な書であることがわかる。よって、あえて星5つ。

要するに、少なくとも日本において禅や仏教が常に平和主義だったなどとは、口が裂けても
言えず、それらがいとも簡単に国家主義に吸収され、むしろそれを翼賛する方向に自ら進
んでいったことが、様々な資料をもって、説得的に描かれている。鈴木大拙をはじめとする
著名な仏教者の驚くべき戦中の発言に、驚愕すると同時に、背筋が寒くなる思いだ。禅は、
そして仏教は、政治に対して、何とウブなのか、無定見なのかと。
「今の一瞬に生きる」主義の危うさをこれほど、赤裸々に暴いた本もめずらしい。著者が曹
洞宗の僧侶であるだけに、余計に説得力がある。

著者も述べているように、仏教の再生はこの本の問題提起を正面から受け止めるところか
らしか始まらないだろう。(たとえば、ナット・ハン禅師の行動はその一つのあり方を示して
いる。)

タイトル通り、全仏教徒、仏教にこれから触れようとする人々にとって、必読の書である。
改訳および、続編の翻訳を切望する。